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地域の夜間急病センターでの働き方改革と心理的安全性は車の両輪

      福田 恒典
(鹿屋市医師会 産業保健担当理事)

2024年4月から運送・物流・建設業など日本の幅広い分野で残業時間の上限規制が適応されます。また、経営者の院長を除く勤務医においても5年の猶予期間を経て、いよいよスタートとなるが、鹿屋市の大隅広域夜間急病センターの運営に関わっていることから、夜間急病センターでの働き方改革と心理的安全性を考察し、医療機関運営の改革について、ひとつの展望を述べてみたい。

この数年、大隅半島全体の地域医療を長年支えてこられた先生方は、高齢化にともなう理由から閉院が続いており、平日昼間の医療供給にも危機感が増す状況になってきています。そのような状況の進展は、休日当番体制の継続性の深刻な懸念のみならず、夜間における急病センター体制の維持にもいつ何が起こるか不安定であるのが、地方医療の直面している課題です。

50歳以上の医師や看護師、その他の医療従事者は、高度成長期の真っ只中の小学生時代の記憶の中に、私たち日本人は世界で一番働いているのに対して、外国人は午後5時になったら仕事の途中であってもさっさと作業を止めて帰る、と学校で教わった記憶のある方も多いのではないでしょうか。今回、日本全体の働き方改革の波によって、子供の頃に植え付けられていた過去の経験から形成された無意識の思考の偏りアンコンシャスバイアス による、モーレツ社員や24時間戦えますか等のCMソングの高揚感を感じつつ、医局で滅私奉公的に働くのは当たり前ではなかったのだとようやく気づかされました。何故なら、私たちには耐久性・順応性の違いがあって、同じ時間・仕事内容で働いても疲労やストレスが大きい人もいれば、一方、意気揚々に働けると感じられる個人差があることを、高度成長期で育った時代の私たち日本人は気づけなくなっていたかも知れません。今、50歳以上にとっては、アンコンシャスバイアスから抜け出す意識改革を迫られている過渡期に立たされているといえます。

評論家の田原総一朗氏が指摘しているように、1991年・2015年の電通の社員が長時間労働やハラスメントにより投身自殺に至った原因を自己責任から企業や社会の犠牲者である、と司法が認めたことが一連の働き方改革の法令化への発端である。また、2022年の神戸市の精神科医が、長時間労働でうつ病を発症した原因からの過労自殺も労災認定され、宝塚歌劇団員の表裏一体とも感じられる長時間労働とハラスメントも同様に認定されました。このような連鎖は企業では改められないとして、安全配慮義務違反であると労災認定され立法として働き方改革が施行されるに至った経緯が知られています。

国の進める働き方改革には、残業上限の労働基準法違反として、6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が適応されることから時間に焦点が集まるが、一方、働く人手不足に起因する一人当たりの生産性向上、及び同一労働同一賃金の人権・経済的な理由からも「働き方改革」は推進されている。そして2024年4月からは、医師の時間外・休日労働時間の上限が年960時間へ短縮されるA水準が適応されるが、現在の医師の働き方改革の議論を見ていると「働く時間を短くすること」ばかりに強調されているように思われる。対策のひとつに他職種へのタスク・シフト/シェア等の取り組みが進められているが、リアルワールドの中小医院では、看護師・事務受付・介護等どの部門でもすでに人手不足しており、医師の時間削減ばかりを優先させると最終的に互いを信頼できなくなり、早晩、改革は行き詰まってしまわないかと危惧しています。

全国でも大学別派遣人数が8番目に多い鹿児島大学(334医療機関)(日本医師会雑誌2024.2号P1238)等から大隅広域夜間急病センターへも派遣の先生方は来られています。鹿屋市役所に隣接する小児科・内科・外科の一次救急を担う当センターでも法の施行に先立ち労働基準監督署の精査ののち許可を受け、深夜帯の宿直許可を受けました。一次救急に従事される先生方や、看護師や医療事務職員と、他方の二次後方病院との主に連絡上の問題(急病センターへ電話相談したら直接二次後方病院へ行きなさいと言われ、翌日の問い合わせで患者家族の真実でない言い分(虚言らしい)と両医療機関の信頼関係を揺るがす事例など様々なリアルワールドの問題)で当センター職場において働く全ての人がストレスを感じられる職場にならないよう、心理的に安全に働けるような環境を維持することが、夜間急病センター運営に携わる者の役割としています。

現在多くの職場は、儒教的長幼の序からポストの高い先生や先輩に発言権が高く、失言や間違った意見を言って人間関係にしこりを残したり、冷たい視線で自分が居づらくならないように静かに忖度してやり過ごそうとしたりする、日本的な職場環境と思われます。

心理的安全性(psychological safety)とは, ハーバードビジネススクール教授のエイミー・C・エドモンドソンの「恐れのない組織 1999年」で提唱された心理学用語です。その定義は、自分の意見を安心して表現できる状態、他人の意見を冷静に受け止める状態のことです。このような状態を「心理的安全性が保たれている・高い(もしくは低い)」と定義して、職場のチームの生産性が、仕事量や経験、個人の成果を超えて、十分に機能することを見出しました。世界の生産性の高いGoogleなど若い企業が検証し取り入れた新しい職場のありかたです。心理的安全性の場はチーム(職場)で生成されます。①自分たち職場にとって生産性の高い目標を共有 ②明瞭さを手に入れる ③発言できる文化を浸透させる ④許可を与える ⑤アジャイル(迅速な対応)になる などからなるチームが速くよりよく働ける職場の環境です。(心理的安全性とアジャイルDuena Blomstrom著)

心理的安全性が保たれた環境なら自分自身を表現して、言いにくいことを言い合える意見の対立を認め合える関係に発展できます。上記の「患者家族の真実でない言い分」の結果、心理的安全性が保たれていないと一次と二次のドクターの認識は別れ、互いの施設の信頼関係が損なわれれば、救急機能は不全となるリスクもあり得ます。

Amazon創業者のジェフ・ベゾスは、失敗や間違えることは、思うほど代償の大きなことではなく、むしろ動きが遅いことや修正の利かないことの方が代償は大きくなる、と対応のスピードを重視しています。大隅広域夜間急病センターが多数の臨床上の課題を乗り越えてこられた要因には、チームを運営する先生方が、アジャイルな対応を持ち合わせていたからと思われます。

上記の“③発言できる文化を浸透させる”を令和6年2月21日に開催された鹿屋・肝属地域産業保健センター運営協議会の進行役として、心理的安全性の環境実現を意識して実証してみました。コロナ明けで4年ぶりとなり、各関係事業所や労働衛生専門職のメンバーの顔ぶれは変わっていましたが、あらかじめ用意されていたレジュメで自己紹介等を踏襲したうえで、人手不足の課題で意見の対立する立場の参加者すべてに発言の機会を与える試みを行いました。その結果、各人の心の内に秘めていた豊かな議論が展開され、課題の解決に向けて言いにくいことを言い合える関係性が実現でき、満足できる協議会となりました。自ら心理的安全性を高めるスキルを磨き続けることで、組織の利益は文化的調和をもたらし働きやすくなります。

今回の働き方改革の罰則には適応されませんが、始まったばかりの働き方を進めていく上では、心理的安全性は職員だけが必要とするものではありません。理事長・院長にとっても職場で心理的安全性を感じられることはとても重要です。職場の心理的安全性は院長の有無にかかっているといっても過言でないからです。なぜなら院長にとっても、自分の心理的安全性が脅かせている場合があるからです。そしてほとんど自覚されていません。院長が慢性的に不安で慢性疲労の状況なら、その感情は職場に伝播して職場環境・組織の健康を指揮して作ることはできません。

夜間急病センターや休日当番病院に、医師の働き方改革を進めるに当たり、公法上の義務である応召義務である「応召義務をはじめとした診療治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」という新通知が2019年に発出された。新通知では、診療時間内の場合は、緊急対応では、「原則として診療に応じる義務はあるが、診療拒否の当否は、緊急対応が必要な場合に比べて緩やかに判断される」と病状の深刻度に応じて緊急対応が必要か依るとして医師の働き方改革における宿日直に配慮された内容と受け取れます。数日前から症状があったが夜間・休日に来院したとか、個人の事情を優先した診療などに対しては、今後“一般的な感覚に沿った判断”として改革後の社会から問われる世の中になると考えられます。最初の取り組みとして、関連する行政や影響力の高い市長などにおける働き方改革の市民の意識改革へ明確な啓発が求められます。地域医療機関の残業時間の上限規制から始まる働き方改革と職場の心理的安全性は車の車輪となって、市民とともに組織風土が改革されることを期待します。

産業医だより 2024年4月

利用者(消費者)側の理解

      今村 英世
(川内市医師会理事)
(今村クリニック院長)

私は保育所、建設業、サービス業など6事業所の嘱託産業医を務めています。一方で、代表を務めている社会福祉法人は、10の事業所を運営し、そのうち50人以上の労働者を使用する事業所は一つで市内の先生に産業医をお願いしていますが、産業医適用事業所でない9事業所の労働環境整備にも同じように取り組んでいます。産業医を務める安全衛生委員会では同じ経営者として労働者の高齢化と職員確保など経営者側のご苦労もよく理解できます。国が定めた年次有給休暇の取得義務を新型コロナウイルス感染症の影響もあり、せめて年休の買取制度を特例として認めて欲しいとの意見も聞きました。私のクリニックでは、昨年度新リハビリ棟を整備しました。建設事業者には、工期短縮や休日勤務をお願いしましたが、お互いに協力の上、出来る範囲での工期短縮が実現しました。

2019年施行の働き方改革関連法の猶予期間終了は2024年問題と言われております。猶予期間が適用されていた医師、建設業、物流(運送業)などの事業者は、来年4月からの取組みがまったなしの状況です。例えば物流では時間外労働の上限規制やインターバル制度の導入に対し、リレー運送を可能とする中間施設を整備する報道もありました。中小事業者の多い本県では経費増により、ますます厳しい経営環境となります。

小中学校教師の過重労働に対し、経営者側に当たる市町村教育委員会は文部科学省や県教委の指示待ちで主体性がない。教師の働く環境はブラック企業並みで都会の教員募集は定員割れが生じている。市町村教育委員会には独自の取組みが求められているとの記事を拝見しました。労働環境整備に対する経営者側の努力不足の指摘はそのとおりだと思います。ただ、医療福祉や教育部門は公共単価による一定基準の運営が求められています。労働環境改善には予算の拡充が必要です。義務教育は保護者の義務でもあります。家庭教育の分野まで学校に押し付けていないか、部活動はどこまで教師が担うべきか。

物流の働き方改革は、当たり前と考えられている翌日配送サービス等が現場の懸命な努力で支えられているが、これまで通り堅持できるのか。業務軽減に効果的なITシステムの活用は不可欠であるが、体力のある企業だけが生き残り地方の中小事業者は淘汰されても仕方がないのか。働き方改革は経営者と労働者だけの問題なのか、改善に必要な経費は企業努力だけでなく、利用者(消費者)にも転嫁できる、医療福祉教育等の公共サービス部門では税・保険料の増など、土台となる仕組の上に競争がなければ下請けいじめや中小事業者の倒産が避けられない国民全体の課題だということも周知してほしい。その意識醸成が大切だと改めて感じています。

産業医だより 2023年12月

禁煙をめぐる様々な問題

      佐藤 大輔
(鹿児島市医師会 産業保健担当理事)
(公益社団法人いちょうの樹 メンタルホスピタル鹿児島)

今から考えると、とても信じられない光景があった。某大学病院某科の某教授の外来診察では、教授がパイプで喫煙しながら患者を診察していた。まだポリクリの学生であった私は、喫煙者でもあったせいか、何の疑問も抱かずにいた。他にも、電車や航空機の中でも喫煙できていた。今から僅か30数年前である。世の中変われば変わるもので、法律の施行もあってか今や公共の場所で、喫煙できる場所はほとんどない。ホテルの部屋でさえ禁煙である。またここ数年、全世界で流行したCOVID-19感染・死亡リスクと喫煙との関係では、全年齢で現在喫煙者の感染、死亡リスク共に上昇する、というデータもあり、一時は禁煙に追い風が吹いたようである。では、禁煙するのは簡単かというと、ことはそう簡単ではない。

産業医として、職場での禁煙教育も重要な仕事の一つであるが、なかなか難しいと感じている産業医の先生方も多いのではないだろうか。特に受動喫煙の防止については、喫煙者・非喫煙者それぞれに言い分があり、両者の対立は簡単には解決しない。

職場での禁煙となると、屋内外に様々な要件・法律を満たした専用喫煙室を作らねばならず、受動喫煙対策も考えなければならない。特に、タバコの火が消えた後、衣服や身体、部屋の壁紙やクッション、カーテンなどに付着したタバコの残留化学物質が揮発することにより、健康被害を引き起こす残留受動喫煙を指す新たな概念であるサードハンドスモーク(三次喫煙)の問題を考えらければならない。まだ、実害は明確ではないが、奈良県の某市では、喫煙した職員は「45分間、エレベーターの利用を禁止」とする受動喫煙対策をとったり、某大型ショッピングセンターでは、ほぼすべての職員に対し、勤務中だけではなく出勤45分前からの喫煙を禁止する対策をとったりしている。いわゆる「喫煙後45分間問題」である。その他にも、今のところ受動喫煙による将来の健康に与える影響ははっきりしないが、電子タバコや加熱式タバコの問題もある。

職場として禁煙に取り組むかどうか、うまくいくかどうかは、ひとえに上層部、特に経営者や院長が喫煙者かどうかが強く影響する。このことは、多くの先生方が経験していることだと思われる。同様に、意外な要因が影響する例として、精神科病院で敷地内禁煙を実施した時に、当初は患者さんの反発が予想されたが、実際には何の抵抗もなく、かえって職員からの反発が強く、隠れての喫煙の問題が起こっている。

このように難しい禁煙対策ではあるが、放置しておくとどうなるのか。労働損失や企業価値の低下を招き、企業リスクになるのは明らかである。もっともこれは、喫煙時間を勤務時間に含めるかどうかや医療費の問題など様々な要因があり、簡単に解決する問題ではないが。

困難を伴っても、やはり医師として、産業医としては、目指すべきは喫煙率ゼロであろう。ちなみに、長年喫煙者であった私も、数回の禁煙失敗の後スパッと禁煙し、早数十年経過した。

産業医だより 2023年8月

3階の保健室

      稲 源一郎
(大島郡医師会)

前回、「さんぽ通信」に寄稿したのは15年前でした。安全衛生委員会で「恐竜に注意」の発言に理解が及ばず、後でサトウキビを積んだトラックを恐竜に見立て、恐竜が電線を切ってしまう事への注意と知ったことを15年前に寄稿しました。
読み返してみると私の産業医としての環境も随分と変わり、それ故の困りごとや戸惑いについて今回は述べます。

A社の3階にある保健室への階段がきつくなった父より産業医交代をお願いされ、私の産業医としての活動が始まったのは平成20年でした。就任当時は主要事業の何たるかも知らずに安全衛生委員会に月1回出席していました。当然のように現場の事情も想像の限りで、内燃機関は雑音が多く、難聴対策を講じる必要があるとか、天候不良の時の体制、突然の事態の際の体制などの理解に乏しい中で、過重労働の可否などについて保健師と話し合い決めていました。
また各離島にも事務所があり、いつの日にかは各離島を回る計画を立てていました。しかし新型コロナ禍もあり、また遠隔面談も随分と互いに慣れてきて、当分は行けそうもありません。新型コロナ禍の前は、離島から奄美本島に来ていただいて面談をしていました。それはそれでいらっしゃる方は問題を抱えているものの多少は旅行気分でもあり、和やかな面談となる事が多く、次回の面談日を互いに確認する作業も心なしか楽しいものでした。
新型コロナ禍となり最近は離島の職員との面談はウェブが殆どです。もちろん仕事としての対応は以前同様に決められた確認はしますが、以前の面談と比べると何故かウェブ面談は、やはり遠いのです。私の五感では心なしか感じきれないものがあります。
私の資質のせいですが、何故かウェブでの面談でのやり取りは、医療でいう視診、発語などを聞くという意味での聴診に関しては紙上や電話などよりは余程長けているが、やはりその人の雰囲気というか匂いというか、私なりの五感で感じる何かが足らない感じがあります。今後も感染症のみでなく、働き手の人材不足などもあり遠隔医療は継続、発展すると思われる。これからの若い世代の医者は順応し、五感以上の能力が発達するようになるでしょうが、私などは置いてきぼりになるのもよしと片づけています。
経営に関して何等の知識も持ち合わせず、また産業医としての介入の余地はないのですが、 A社は同じ建物内で会社が二つの会社に分かれた関係で、50人未満となり産業医の必要は無くなり、結果的に安全衛生委員会は開催されなくなりました。しかしこれまで同様に月一回の保健室での健康相談などは継続となりました。そこで思わぬ弊害を感じました。会社が分割されることで、会社ごとの守秘義務も発生し、風通しが悪くなり、人間関係が希薄化したのです。それ故なのか面談を要する事例は増えています。これまで気軽に手を貸りれた事がぎこちなくなり、手を貸そうにも戸惑う旨の相談があります。このような環境の変化は、うつ傾向の職員にとっては居心地の悪い環境となり、うつ状態を不安定にし、就労に際しての支障になっています。 難渋する面談はやはりうつ病が多く、その都度に就業制限の設定、短時間出勤などの措置を講じているが、難渋するケースもあり専門医との連携の重要性を改めて感じています。しかしA本社内で行われている、県内の事務所毎のメンタルヘルスの評価では、A社は他の事務所と比すと就業環境を含めストレスが軽く、人間関係も良好であったのは奄美大島の恩恵と考えています。この地で働いている私も十分に恩恵を受けていて、奄美に感謝しています。

父は令和3年に他界しました。親父は何を考えながら3階の保健室までの階段を上っていたのかと考えながら、またいつの日か私も階段が嫌になるのだろうと考えながら上っています。しかし、少子高齢化で働き手が少なくなりつつある現状を鑑みると、働き手の心身の健康を守ることの重要性を確信し、保健室に向かっている昨今です。

産業医だより 2023年4月

産業医を20年間続けての感想

      谷川 誠
(曽於郡医師会 産業保健担当理事)

私は曽於医師会で20年近く産業保健担当に携わっています。約30年前に日本医師会館に行き超満席の会場で5日間講義を受け産業医の認定を受けました。以来産業医の資格更新のみは受けています。以前宮崎県で勤務していた時に、県の保健部長から「医師会の専門医制度は医師会の金儲けだけで何の価値もない」と言われ外科学会にも抗議しましたが回答なく、幾つかの指導医、専門医の資格は放棄しましたが、産業医資格だけは更新しています。

近年の労働者の働く環境は最悪の状態にあります。コンピュータで実体のない数字を動かすだけで巨大な利益を生み出したり、公共事業をはじめとして税金に群がる仕事をする者が利益を得やすい構造になっている感じがします。以前、ある総理大臣が家庭で老人を看ている場合は1月あたり約10万円を支給すると言った事があります。種々の団体が老人介護が女性の仕事と決めつけていると大反対が起こり、それは実現しませんでしたが、現在の高齢者の置かれた状況を見ると、反対した事が間違いだったと思います。老人介護が女性の仕事と決まっているわけではないし、時間のあるほうがすれば良いのだし、施設利用を併用する方法を選んでもいい、それにあの制度が陽の目を見ていたら10万円は今ならば何倍かになっているだろうし、子供達も昔のように学校から帰ればおじいちゃんおばあちゃんがいる生活を体験しながら成長することができるでしょう。家庭で老人介護をすることも重要な仕事だと社会が理解して、その間の年金保険料なども不平等のないようにしたらいいと思います。施設に支払う料金より多分少なくて済むし、ケアマネージャーの重要性も高まります。

次に若い職員や退職する職員からよく言われる事ですが、厚生年金基金に全部の企業が加入するのを義務づけるべきであると言うことです。特に看護師は結婚、子育て等で幾つかの職場を変わり勤務する事が多く、退職する時に以前勤務した職場により年金に大きな差がでます。働く者に大変不平等が起きています。求人情報に明示しなければならない項目を増やし、職場を選ぶ際に企業を種々の面で選べる指標があるといいのではないでしょうか。保健所の毎年の調査でも規則を守られているかどうかが第一の目的であり、人手不足やコロナにより十分な検査が行われていません。そもそも1年に1度数時間の調査であり実体を反映しているとは思えません。

社会に役立っていると思いながら働き、自分も不安なく生活出来る環境がほしいと思います。

産業医だより 2023年2月

長時間労働に対する産業医の関わりについて

      橋口真也
(南薩医師会 理事)
(医療法人翔南会 はしぐちクリニック)

2019年4月1日より働き方改革関連法の一部が施行されました。ご存知のように働き方改革とは働く人々が個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を自分で選択できるようにするための改革です。

この働き方改革における重要課題の1つに長時間労働の解消が挙げられます。

どの職場でも残業時間が問題となっています。私は地元の教職員の産業医、市役所職員の産業医をしている視点から今回長時間労働における問題点について考察してみたいと思います。

長時間労働が認められる職員に対しては面接指導問診票を活用しています。勤務状況と自覚症状を点数化し産業医が面接指導をすべきかどうかストレス度を個別に判断します。産業医だけではメンタル面の診察及び診断も不十分になるため近隣の精神科医の協力も仰ぎ指導を行っていきます。

長時間労働の大きな原因は、①単純に労働内容の増加による勤務超過、②本人の処理能力による問題、③ワーカホリック、が挙げられます。①に関しては市職員、教職員共に地域への奉仕作業・イベントへの参加があり超過勤務の一因となっています。教職員は17時を過ぎてから各家庭への電話連絡対応に追われるため残務が時間外に増えてしまいがちです。②に関しては、個人処理能力評価が非常に難しいところです。ノー残業デイを作ることで処理能力が遅い職員の分を処理能力の高い職員が引き受けることになり、引き受けた側のストレス度が増えてしまわないか心配するところです。③に関しては一番厄介かも知れません。書面のストレスチェックだけでは、喜んで仕事をしているであろう初期のワーカホリック職員は高ストレス群拾い上げ作業からスルーされる可能性があります。

さて、長時間労働を改善するためにノー残業デイを設定すると書きましたが、その効果を検証しなければなりません。その評価軸に客観的・主観的評価があると思います。客観的評価として①ストレスチェックの改善の有無、②残業代の軽減が挙げられます。①に関して処理能力の高い人、低い人全てに対して再検討しなければいけません。残業の皺寄せの有無の確認も大事な点でしょう。②に関して残業がなくなれば残業代が減るはずですが、もし減らなければ別日にしている可能性がありますし、もし減っていたとしても仕事も持ち帰っている可能性もあります。また残業代を減らすことが目的ではないので残業代が減った分は福利厚生費等として何かしら補填することが職員のモチベーションアップにつながるでしょう。主観的方法として、個別にノー残業デイを設定して本当に個々の仕事人生が幸せになったか、デメリットはなかったか等具体的に聞き取り調査も必要となってきます。数値には表れにくい心の訴えこそが重要だと思います。

長時間労働問題と産業医の関わりは広範囲にわたります。産業医として、全職員が経済的・メンタル的にストレスフリーで勤務に励める職場づくりをサポートしなければなりません。働き方改革はまだ始まったばかりでどこまで産業医が関わるか難しいところですが、物言う産業医として頑張って行きたいと思っています。

産業医だより 2022年8月

「医師の働き方改革」について思う事

       伊東幸彦
(姶良地区医師会 産業保健担当理事)

働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(いわゆる「働き方改革関連法」)による改正後の労働基準法が2019年4月から順次施行されました。「働き方改革」は、働く方々が、個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を、自分で「選択」できるようにするための改革で、成長と分配の好循環を構築し、働く人一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指すものとされます(厚生労働省より)。

では、我々「医師」はどうでしょうか。2024年から医師の働き方改革が始まろうとしています。ただし、この「医師」とは勤務医のことを指し、院長・理事長は含まれません。医師自身の肉体的・精神的な健康を確保・養生するために必要な改革ですが、一方で医師の勤務時間が制限され、また医師数が足りなくなるなどして、救急、休日・夜間など患者が受ける医療に影響が出ないか、必要な医療を受けられるか・・のバランスが崩れないように対処する必要があります。昨今の新型コロナウイルス対応で医師は昼夜を問わず働き、地域の医療現場でも通常診療の他、小児の予防接種、新型コロナ個別接種・集団接種、往診、看取りも含めた在宅医医療、老人ホーム嘱託医、医師会活動、学校医、産業医、介護保険審査会、休日当番医、夜間診療、検死等沢山の仕事をこなさなければなりません。

所で、「医者の不養生」という言葉があります。語源は江戸時代の平賀源内の小説「風流志道軒伝」に登場する「医者の不養生、坊主の不信心」という一節と言われます。患者には偉そうなことを言って養生の大切さを勧めておきながら、自分自身の健康には配慮しないことを言うものです。一方、養生とは、健康に注意して元気でいられるよう努めること、病気や怪我の回復に努める事と言われます。しかし、不養生には養生しないという意味と、養生したくても養生できないというもう一つの意味があると思います。緒方洪庵「扶氏医戒之略」の一節に「安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし(安楽な生活を望まず、名利を顧みず、ひたすら自分を捨てて人を救おうと願わなければならない)」とあります。医師たるもの、常に患者の為に自分の体調が多少悪くてもそれを顧みず邁進しなければいけない場面が多々あります。夜中・休日も容体が悪い患者がいると病棟に顔を出し、自宅には帰れず、時によっては「24時間闘えますか」状態です。しかし、医師といえども人間です。スーパーマンではありません。時間外労働時間が長くなれば、他の職種と一緒で脳、心疾患、過労死、精神疾患・自殺、過労性健康障害、事故・怪我のリスクが高くなり、ひいては自分自身だけではなく、患者、家族、病院等様々な所に影響が及ぶ可能性が出てきます。

最後になりますが、常日頃から不養生にならないよう、言われないよう、自分自身の健康に配慮し健康でいられるように努めなければいけないと思っております。

産業医だより 2022年4月

「かつての経済大国は、これから何処に向かうのか」

       末次哲朗
(鹿屋市医師会 産業保健担当理事)

 

菅内閣が失速し、新しい自民党の党首が誕生した。と思いきや、早速の衆議院選挙である。デフレの解消、消費税減税など、野党の連呼する声は喧しい。経済のしくみは分かる由もないが、いつから日本は金回りの悪い国に陥ってしまったのだろう。戦後、日本は急速な経済発展を遂げ、一時は米国に次ぐ世界第二の経済大国となった。1988年当時、中国のGDPは、まだ日本の1/10にも及ばなかった。これが後に世界を揺るがす経済大国になることを誰が予想したであろうか。これを最後に日本の経済は徐々に低迷して行く。1985年、企業には好都合な、「労働者派遣法」が日本に成立する。1990年バブルが崩壊し、デフレが進行、2000年、日本の正規雇用者は減少し、景気はさらに低迷する。中国の破竹の勢いは止まらず、2010年中国のGDPが日本と逆転する。その後も、中国に大きく離され続け、2020年、日本のGDPは中国の1/3となってしまった。韓国は日本の経済を追い越すことを至上命題にしているが、国民一人当たりのGDPは既に韓国に負けている。今の日本は、もう経済大国とは言えないのだ。

我が国の7人に1人の子供が貧困状態にある。こうした子供たちには、経済的困窮を背景に教育や健康面において格差が生まれ、将来的には国の社会的損失を招く。日本の子供の貧困率はOECD加盟国のなかでも最悪の水準にあるといわれている。将来を担う子供達の健やかな成長なくして国の発展はありえない。

2010年の「労働経済白書」では、全ての年代において所得格差が拡大しており、その原因を「非正規雇用者」の増加としている。戦後、急速な経済発展の根幹にあったのは、おそらく、我が国特有の「終身雇用制度」にあった。人との繋がりの中で会社を活かす、守る、育てるといった働き方、イノベーションといったものは、生活基盤にゆとりがあってこそ創造されるものであろう。

近代日本の経済、資本主義の創始者、渋沢栄一の残した理念に「道徳経済合一説」といったものがある。「富」をなす根源は何かといえば、「仁義道徳」。正しい道理の「富」でなければ、その「富」は永続することができない。倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにするために、「富」は全体で共有するもの、社会に還元するものだと説いた。労働者の4割が非正規雇用と言われる現在では、労働者の生活は満たされず、国の富も得られない。厚生労働省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」によると、非正規を活用する理由について、企業側からは「賃金節約」と回答された。人件費コスト削減した分が、将来の国の負担として跳ね返ってくるようにも思う。これから、少子高齢化が進み、国の生産人口が増々減っていく中で、経済発展を得るためには、早急かつ斬新な国の労働政策が必要と思われる。

産業医だより 2021年12月

職場での腰痛対策について

上村 光平
(上村内科・神経内科)

昔、勤めていた病院で若い看護師が腰を痛めてつらい思いをしながら勤務しているのを見たことがあった。体位交換の時に痛めたらしく、それでも腰痛ベルトをしながら、体位交換をしている姿をみてとてもかわいそうに思ったことを思い出した。もちろん、教育指導は受けていただろうが、一瞬のことで傷めたりするので、なんとかならないのかなあと思っていた。

職場における腰痛予防対策として、厚生労働省は「職場における腰痛予防指針」(平成6年9月6日付け基発第547号)の中で、腰痛が発生しやすい5つの作業の作業態様別の基本的な予防対策を示している。1.重量物取扱い作業 2.重度心身障害児施設等における介護作業 3.腰部に過度の負担のかかる立ち作業 4.腰部に過度の負担のかかる腰掛け作業・座作業 5.長時間の車両運転等の作業などがあり、作業管理、作業環境管理、健康管理、労働衛生教育などが書かれている。

作業管理のポイントとして、リフトなど福祉機器の利用や、どのような姿勢をとるか、どのような動作をするかなど適切な作業姿勢と動作で負担の軽減につながる。作業環境管理は、温度、照明、作業床面、作業空間、設備の配置に気を配ることなどである。労働衛生教育については、腰痛に関する知識、作業環境、作業方法等の改善、補装具の使用方法、作業前体操、腰痛予防体操など腰痛予防のための労働衛生教育を実施することである。

健康管理の中で腰痛健康診断は、作業に配置する際、及びその後6か月以内ごとに1回、定期に、医師による腰痛の健康診断を実施するとしている。また、加えて作業前体操や腰痛予防体操の実施も奨めている。当院では、幼稚園、保育所の方が健康診断に訪れており、腰痛健康診断を実施している。あらかじめ、問診に記入していただき、診察を行い、必要な時は、腰椎レントゲンを撮るようにしている。そして事後措置としてさまざまなアドバイスを書面にて返している。具体的には、深くしゃがんで園児を自分の体近くで抱えてから園児の上げ下ろしをするとか、立位、中腰で前かがみの姿勢での作業はさけるとか、体がねじれた状態での負荷はさけるとか、書いて渡している。ほかに作業前のストレッチや、普段の運動も奨めている。腰痛で仕事ができなくなることがないよう、これらのアドバイスが腰痛対策の一助になればと考えている。もちろん、このようなアドバイスは自分にもあてはまるため、同じ姿勢を長時間続けない、座位時は、腰椎の生理的な前弯を保ったまま姿勢を保つなど、診療の時は気を付けるようにしている。

産業医だより 2021年8月

日医認定産業医アンケートにみる現在の問題点

佐藤 大輔  

(鹿児島市医師会)
(公益社団法人いちょうの樹 メンタルホスピタル鹿児島)

 

この機会に、産業医の定義、要件、職務を改めて確認してみたい。

産業医とは、事業場において労働者の健康管理等について、専門的な立場から指導・助言を行う医師を言い、労働安全衛生法により、一定の規模の事業場には産業医の選任が義務付けられている。要件として、産業医となるためには、事業場において労働者の健康管理等を行う産業医の専門性を確保するため、医師であることに加え、専門的医学知識について法律で定める一定の要件を備えなければならない。職務は、労働安全衛生規則第14条第1項に規定されており、「医学に関する専門的知識を必要とするもの」と定められている。また、産業医の職場巡視等について、労働安全衛生規則第15条第1項で次のとおり定められており、産業医は、少なくとも毎月1回作業場等を巡視し、作業方法又は衛生状態に有害なおそれがあるときは、直ちに、労働者の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならないとある。

定義・要件はその通りだとしても、職務を考えてみると、十分に果たされているのであろうか。特に巡視に関しては、様々な問題があり、厳格に運用されているとは言えないのではないだろうか。そこで今回、令和2年3月に鹿児島県医師会が実施した日医認定産業医アンケートの結果から、現在の主な問題点を拾い上げてみたい。

まず、産業医研修会について、問題ありが24%あり、その内容は「時間帯の問題」「実地研修が少ない」「会場が遠い」が上げられている。それに対する具体的な意見・希望として「土日実施」「19時以降」「テレビ放映」「まとめて単位取得できる研修会がない」などが上がっている。

次に現在事業所と契約している産業医は68%で、事業規模ごとの契約数は50人未満が96(44%)、50人以上~100人未満が69(32%)と二つで約4分の3を占めている。一方、契約していない産業医にその理由を問うと、「日常診療で多忙のため」「事業所からの依頼がないため」で約9割を占めている。その他の理由として「事業所の担当者に問題あり、契約更新しなかった」という意見もみられた。

事業との契約(報酬)等での問題としては、「報酬が安すぎる」「事業所により職務内容や報酬に差がある」という意見がある一方、希望額の再検討に関しては、「必要なし」との答えが82%に上っている。ちなみに、再検討してほしいと答えた人の具体的な希望額は、従業員数50人未満の事業所では4~6万円、50~99人の事業所では5~6万円であったが、令和元年に行った調査では、希望額にも産業医によって3~6倍の差がみられている。

その他、「鹿児島県医師会の上限・報酬のめやす(ガイドライン)を教えて欲しい」「職場に安衛委員会を設置していないケースを放置しないで欲しい」「産業医活動を理解していない」「巡回させてくれない」等、事業所側の問題が多く指摘される一方、「仕事を紹介してほしい」「メンタルヘルス・ストレスチェック後の対応に苦慮する」など、産業医側の問題もあり、これらの問題に取り組んでいく必要性がある。(特にストレスチェックへの対応が産業医のストレスになるという皮肉な結果にならないように)。

問題点を大まかにまとめると、①事業所への産業医の業務の周知徹底、②事業所と産業医のマッチング(時間、場所など)、③報酬額の基準、④メンタルヘルスへの具体的対応(ストレスチェック後の対応)、に絞られるのではないかと思われる。

さらに複数の職場を掛け持ちしている人やコロナ禍で注目されている、一見時間や場所に縛られない自由な働き方のように見えるデリバリーなどの配達員などの非正規雇用労働者の問題も重要である。健康管理については労働安全衛生法による規定が示されているが、法的な整備等が後手に回っているため、実際の現場ではさまざまな問題が提起されている。産業医としてというより、国として医師会としてどう対応していくのか、今一度、考える時期に来ているのではないだろうか。

今後、働き方改革や新型コロナウイルスを含む感染症対策など、産業医が果たす役割はますます大きくなっていくと思われるが、定義にもあるように、「事業場において労働者の健康管理」が正規・非正規雇用の区別なく適切に行われることを願いたい。

 

産業医だより 2021年4月

「産業医のつぶやき」その2

喜入 厚
(大島郡医師会介護老人保健施設 虹の丘)

 ちょうど8年前に産業医のつぶやきを書く機会を当時の産業保健推進センター地域相談員として寄稿する機会を与えて頂いたので今回は「その2」とさせて頂いた。平成22年4月より大島郡の産業保健地域担当相談員の委嘱を受け、毎月大島の従業員50人未満の各事業所各地域の健診の結果表に基づき、生活習慣の問題点と改善の必要性を記述し、併せて就業判定と保健指導の必要性をセカンドオピニオンとして、意見を述べさせてもらっている。地域産業保健センターを通しての各事業所の健診結果をみると産業保健の統計データで有所見率は平成20年51.3%と初めて5割を超え、その後も増加し平成30年では55.5%となっているが、私の印象でも有所見率が年々増加傾向にあり、特に男性において顕著であり、また食事内容がファーストフード化による影響か30代、40代の若い年代で高血圧症が疑われるケースが増えている。また男女を問わず運動不足によると思われるBMI25以上の肥満が多い傾向だ。従って健診医療機関での医師の指導内容と重ならないように、具体的な生活指導を記載している。また気になるところでは、高血圧症が疑われる場合は自宅での血圧測定を勧めるとともに脂質異常、糖尿病で治療継続中ながらコントロール不良のケースがしばしばみられ、主治医への相談を勧めているところである。生活習慣からの肥満の減量が困難なケースはなるべく保健師による保健指導を勧めている。しかし各事業所からの健診結果の相談がその年によって異なるため、産業医や保健師の保健指導後の経過が把握できない現状があり、消化不良気味である。また産業医からの就業区分の判定は通常勤務で就業制限を必要としたケースには幸い遭遇していない。また近年労働者が受けるストレスは拡大する傾向にあり、メンタルヘルス不調者の増加は職場における大きな課題となっている。第13次労働災害防止計画が2018年4月スタートし5年後の目標(2017年比)が掲げられ労災による死亡者数を15%以上減少、業種別でも建設業、製造業及び林業でやはり死亡者数を15%以上減少、メンタルヘルス対策に取り組んでいる事業場の割合を80%以上、メンタルヘルス結果を集団分析し、その結果を活用した事業所の割合を60%以上としている。これらの取り組みは恐らくわが国の年次別自殺者数の推移にも表れ、平成19年3万4千人が11年後の平成30年には約2万人近くまで減少している。ただ今年は新型コロナ禍の影響からか昨年より増えているのが気になるところである。2015年12月より労働安全衛生法により労働者数50人以上の事業場において、年1回のストレスチェックが義務付けられているが、高ストレス者は10~20%認め、面接希望者の話を聞くと、職場毎の事業内容にもよるが、夫婦間、親子間など家庭内での問題はかなり根深く、うつ傾向となり、職場内での事故に波及する可能性もあり、慎重な対応が求められる。また月80時間の過重労働時間以内の過重労働によるメンタル不調者の面談希望者もみられ、ラインによるケアを活用し、日常的に接する管理監督者への相談対応を促している。働き方改革が謳われている中で新型コロナ禍におけるIT化の進展による在宅勤務の増加など産業保健も新しい働き方への対応が求められており、産業医として新しい課題に向き合うことになろう。

産業医だより 2020年12月

 セクハラの話など

川津 学
(南薩医師会)
(医療法人椎原会 有馬病院)

 病院という医療の現場も施設という福祉の現場も、つまるところ女性の職場である。私は大学病院を辞めて民間病院に院長職で入職して20年になるが、まず何はともあれ女性スタッフをえこひいきしないと肝に銘じてやってきた。すんでのところでこらえるのである。冗談でも思いつけば満遍なく言わねばならないので、そのため私は冗談の多い男になってしまった。

しかし病院が地域で評判をとるには、若いスタッフのきびきび働いている姿が欠かせない。それゆえ若いスタッフを大切にしたい私は、ついうっかりとそのようなことを口走ることがあり、自分たちこそ病院の柱だと思っている各部署のベテラン陣から、「まあ、ひどい」 とわざとらしい大袈裟な非難を浴びることになる。「焼きもちだね、焼きもち。君たちも若いころには先代や、先々代から大切にされ、ちやほやされたはずだ。それがわからなかったんだね。不幸なことだ。順番はちゃんときて、油断している間に去ったのだ。満つれば欠くる、というではないか」。

さてセクハラの話だが、わが病院ではこの20年で2人の男性職員を辞職させた。どのケースも彼らはまずシラを切る。シラを切って澄ましている。「いい加減にせい。何を寝言を言っているのだ。証拠はあがっているぞ」。私は静かに言い放つのである。

一人目は20代の女性看護師が被害者である。加害者は他の部署の職員。

加害者は常日頃何彼となく相談される間柄を逆手に取って、夜9時過ぎ、母子家庭に乗り込み、寝ている子供たちの隣で朝まで何度も事を迫り、結局未遂に終ったのだが、それ以降は携帯電話やメールで未遂に終わった時の様子を細かく描写しなおも事を迫る淫望にみちたメールを未練がましく送り続けたのである。この時のメールが数本残っていて、言い逃れができなくなった。

その後は被害者にふるえや持病の喘息発作が起こるようになり、とうとう病院の労務担当者に訴え出た。

双方を同時に呼んで事実を確定した後は、労働基準監督署に相談したが、病院としては就業規則の規定により『減給3か月かつ出勤停止7日』を検討していると伝えると、一事案一処罰が原則ゆえ基準法に違反すると言われ、降格人事や賞与時の査定という手があるとアドバイスを受けた。

はてどうしたものかと考えながら、謝罪文を書かせ被害者に渡して受け入れてもらい裁判の意思がとりあえずないことを確認し、問題発覚から3Wの休職期間の給与と配置換えを提案したが、新しい職場で再出発したいとの希望が強く配置換えは拒否された。被害者は退職し加害者はその後1Wで辞表を書き病院を去るという結末を迎えたのである。

二人目のケースは紙面の都合で概略のみであるが、20代の当院通院の患者さんが被害者である。男性職員が仕事にかこつけ自宅にまで出かけたりもして身体接触(いわゆる猥褻のレベル)を繰り返し、信頼を裏切り自尊心を徹底的に傷つけている。このケースでは、院長として職員の教育指導はどうなっているのかと強く責められた。病院労務担当者に訴えがあった翌日には一転して本人が相手の言い分を認め謝罪したが、労働基準監督署にも相談し、その日のうちに懲戒解雇処分を下した。

以上のようなことがあれば、セクハラや猥褻への関心を高めるような日頃からの取り組みが大切になってくる。もとよりそれは承知で事例研究を職員会の中で行うことを怠っていないつもりだったが、実際には、取り組みをよそに、このようなケースが出てきてしまう。日暮れて道遠し、という他ない。一罰百戒のために、職員に二つの事案を隠さず、詳しい情報を出してしまいたいところだが、武士の情けで、そこまではできない。

最後に、先日認知症のない入院の患者さんが、午後廊下で若い男性職員の頬をひっぱたくということがあった。加害者は理由がそれなりにあってのことだと言い、職員も力一杯のひっぱたき方ではなかったと応じたが、院内の暴力は理由は問わないと強制退院を言い渡し,その日の夕方には家人に引き取らせた。男性職員もやはり守ってやらなければならないのである。

産業医だより 2020年4月

 職員の健康は事業所の最大の財産

榊 哲浩   
(希望ヶ丘病院)

   嘱託産業医のためのQ&A(森晃爾 編)を読むと、産業医の職務はきわめて広範で奥も深く、産業衛生専門医や産業医科大学を卒業した先生方は別として、日本医師会産業医学講習を研修した認定産業医(一般の開業医や勤務医はこれに該当する人がほとんどだと思う)にとってはとても荷が重く、自院での産業医活動はできないため、グループ内の関連施設や地域の中小の事業所との産業医契約を結んでいるのが実情だと思う。自院の診療に支障がないようにしなければならない。産業医は少なくとも毎月1回は作業場などを巡視し・・・となっており、安全衛生委員会、職場巡視、健康管理、労働衛生管理、その他が必須となっている。例えば100名の事業所であると年間約75時間になる。つまり月6時間から8時間程度の活動時間、言い換えると1回半日を月3回程度となる。この中には医師による面接指導やメンタルヘルス不調者や職場復帰時の面接なども含まれている。一般の開業医にとってはかなり厳しいのが実態だと思う。

 ところで、事業所を形成する必須の条件は、ヒト、モノ、お金、情報の4因子である。この4因子のどれが欠けても事業所を健全に運営することはできない。中でもヒトが何より大事であることは言うまでもない。先日の報道で、厚労省が全国の公立病院の縮小、整理を唐突に提案し、早速自治体や住民の反発を受けた。医師、看護師等の求人、補充が地方に行くほど難しく、やむなくベッドを閉鎖して、患者さんを入院させられず経営困難になっている病院も少なくない。また患者数によらず地域に必要な病院もあるからだ。

 この大切なヒト、つまりそれぞれの事業所の職員が心身ともに健康で、できるだけ病気や怪我をしないよう、未然に予防することが事業所の最大の財産である。それには事業主、職員自身、産業医が三位一体となって取り組まなければならない。

 今の日本の最大の社会問題は人口減少と少子高齢化である。鹿児島県は特に人口減少が顕著で鹿児島市以外で人が増えるところは霧島市、姶良市ぐらいしかない。そのためそれぞれの事業所は、定年延長、高齢者の再雇用、若い母親のための企業型保育所、ベトナム人の雇用などいろいろ対策をしている。給料を上げるだけでは自滅してしまう。

 このようにみてくると、現在いる職員の健康を守ることが何より大切なことであるということがよくわかる。

 今は以前と違って、パワハラ、セクハラ、うつ病、自殺など難しい問題が次々と出てきて社的問題となっている。職員の心身の健康はもとより社会的健康にまで事業主はいつも目を向けていないとならないのが現実である。

 産業医の最大の仕事は、このような事業所の最大の財産であるヒトを守ることである。とても責任のある難しい立場であるが、こつこつとできることからしていきたいと思っている。

産業医だより 2019年12月

 働き方改革「生産性の向上と最低賃金の値上げ」

福田 恒典
(福田病院 院長)

令和元年7月7日の南日本新聞に、「人ごとではない老い」と題された「風の舞い」問題について「介護する人がいないことも虐待であるとしながらもどこも慢性的に人手不足で職員が続かない」との声を取り上げた。その指摘は当地では既に現実化していて、本報道の影響力は大きく特に当地方においては人手不足の実態が明るみに出るストレスよりも施設の閉鎖という苦渋の決断をする事態が連鎖反応的に拡大しやしないかかなり心配しています。鹿屋市発行の広報かのや(‘18.9月号)によると鹿屋市は千人の出生はありながらも高齢化率も27%(‘15)から33%(‘30)と全国の人口動向とほぼ一致して上昇し人手不足はいっそう深刻化しているからである。私も自院の経営者であり働き方改革において、就労時間を制限しながら一方でこんなに働いている(労働者の質は4位(world economic forum)のにさらに生産性を上げなければならない問題の矛盾に日頃から答えを探しても一向に見いだせずにいました。地域産業保健センター運営協議会で皆集まって協議しても歯切れの悪く、それもそのはず年功序列・終身雇用・60歳定年制・年金制という戦後の最新の働き方改革以降の未知の大変革について協議しているわけですから。そのような状況の中で、日本の経済を研究している多数の論文を分析して前代未聞の事象を分析しようとする興味深い「日本人の勝算」(デビットアトキンソン) の著書に出会ったことでこの難題に光明をやっと見いだせたようなので、医療・介護者である観点から考えてみたい。上記のような深刻な現状にいながらも日本はGDP総額(人口×生産性)はまだ3位の先進国であると多くの国民に思われているが、そもそも先進国と途上国の差は所得の差だと指摘しており‘90のバブル崩壊後先進国で日本だけが生産性(労働者一人あたりのGDPの向上を実現できずデフレから回復できない(生産向上性 日本0.77%,米1.40%,EU1.38%/1990~2015,世界銀行GDPデータ)まま(以前も指摘があったように)‘90年から生産性28位まで取り残されてしまっています。今後団塊の世代ジュニアも40代を超えると2060年までに3000万人(42%)生産年齢人口も減少し本格的に税収は減り続けます。私たちは皆保険制度の堅持を支持していますが少子高齢化社会にGDPが源泉である社会保障費の増大に、とても耐えられそうもありません。事態の深刻さを理解するにつれ気が滅入ってしまいそうですが、あの英国を始め欧米先進国は生産性を上げていたのです。様々な論文の分析で見えてきた点は、生産性及び女性活躍の低い国は、産業の分野を問わず20人未満の小企業に勤める労働者比率の高さに行き着いたとしています。日本では30人未満の生産性の低い企業に労働人口が集中しており全体の生産性の低さにつながっている強い相関関係があると説明されています。(筆者調べ;統計局ホームページ 事業規模 給与)人口が減る中で企業数が減るのは必然の結果で、それは出来ないと経営者は反発しても、人手不足が深刻になる事実を地方に住む私たちは理解せざるを得ないでしょう。

働き方改革に政権は同一労働同一賃金を唱えながらも、国も当地方現場でも人手不足の解決策として非正規外国人労働者の受け入れを急いでいます。ところがもう一つの生産性向上の鍵は、最低賃金の引き上げなのです。その日本の中でも鹿児島県のランキングは県民としてここに書けないほどで人口流出の要因となっています。地域を守るため社会政策としてイギリスやデンマークの例を示し、中小企業の経営者に企業のあり方などの意識改革と並行して中期的に補助金を投入し大手企業が取り入れているテクノロジーの導入と人との組合せの活用支援と、労働者には人材育成トレーニングをある種強制する国策として‘90以降生産性の向上を達成しました。これがバブル崩壊後のデフレから脱却できなかった日本の生産性28位の結果です。著書は日本の内需外需全産業を対象に述べられています。私たちの業界は、皆保険制度の範疇の配分から賃金が定められるため、例えば外需を伴うインフラ産業などの構造的に儲かる右肩上がり型の業界とは異なる平地型に近い高地型賃金の業界にいますので、最低賃金の引き上げは容易でない構造的事情もあります。しかしながら、経営者は返済や退職金未払いを抱えたままでの閉鎖の判断のほかに、企業統合の選択肢によって、経営者も管理職として新たな働く場で夜も寝られるようになり、女性の多い職場の働き手にとっても最低賃金・雇用も拡大できるチャンスを得ます。日本の命運を握る生産性向上の論点として2つの分析は今後も議論されていく日本の未知の働き方改革方策を照らす参考になろうかと紹介させていただきました。

産業医だより 2019年8月

「働き方改革と産業医の役割」

今村 英世   
(今村クリニック 院長)

   改正健康増進法により東京オリンピックの前の2020年4月から受動喫煙防止が義務化される。テレビニュースで、先行して、受動喫煙防止に取組んでいる飲食店のステッカー掲示が紹介されていた。客席面積が、100m2以下の個人・中小企業の既存店なら喫煙が認められるが「喫煙」表示が必要となる。これにより、嫌煙の女性客等に敬遠されることも想定される。ニュースを見ながら、行きつけの「おでん屋」で招き猫になっている大将に、この際、「禁煙」を勧めてみようかと思った。厚生労働省の働き方改革のテレビCMでは、時間外労働の上限規制や年次有給休暇の取得義務化を案内していた。4月からの施行であり、PR遅れ・不足は否めない。昨年の日本医師会の産業医研修の中で、働き方改革の一環に産業医・産業保健機能強化があるとの説明があった。過労(自殺)死が大きな社会問題となったことも関係している。一方で、産業医は事業者と労働者の中立的な立場が求められる。また、嘱託産業医は時間的な制約もあり、まず、事業所が働き方改革と労働安全衛生法改正の主旨を理解し、衛生・安全委員会の役割、その前提となる(労働者確保につながる)労働環境の整備等を進め、産業医は、事業所の取組(仕組み)や今後の方向性を確認することがより重要になってくる。例えば前述の受動喫煙防止でも、建物内の喫煙禁止と屋外の喫煙場所の整備には、国の助成制度はあっても、多額の費用を要することから、まず、屋外での簡易な喫煙場所の指定等、できることから始めることが大切である。また、時間外労働についても、その実態と長時間労働者の健康管理の取組・申出による医師の面接指導等々、該当者の把握、相談体制の整備(進め方)と、それを労働者にどのように説明しているかを確認することになる。ハード・ソフト整備に係る国の助成制度もあるが、中小企業が、全てを、直ぐに行うにはハードルが高い。働き方改革の主旨を理解し、年次的に取り組むことが、より現実的である。また、社会保険労務士等の専門家の活用も求められる。産業医の設置義務は、労働者50人以上であるが、薩摩川内市のような地方都市では労働者50人未満の事業所が多い。ここをカバーする組織として地域産業保健センター事業があり、当該地域には、公益社団法人川内市医師会が協力している北薩地域産業保健センターがある。労働者にとっては、事業所の雇用者数は関係ない。地域産業保健センター業務の案内・取組強化が求められる。また、出入国管理法の改正により、外国人労働者の急増が予想される。薩摩川内市でも閉校した学校に外国人の宿泊研修施設が開設され、また、食品加工場を中心に特にベトナム人労働者が増えている。あと5年もすると一般企業でも普通に、ベトナム人労働者と働くことになるのではないか。そのためにも、その国の文化(慣習)を含め、外国人労働者の労働環境の取組・留意点の先進事例を、早いうちに医師会を含む関係機関で共有し、その中で、産業医、地域産業保健センターの役割・活動を関係者と一緒に検証・拡充することも必要になってくる。「働き方改革」も、現場ではこれからが本番で、産業医の役割も、当分は、走りながら整備することになろう。

産業医だより 2019年4月

受動喫煙防止法施行前に思うこと

宮薗 尊仁   
(指宿医師会 産業医)

   喫煙と疾病の関連はよく知られている。
喫煙と悪性新生物の関連としては肺癌、口腔・喉頭癌、鼻腔・副鼻腔癌、食道癌、胃癌、肝・膵臓癌、膀胱癌、子宮癌などとの因果関係が明らかになっている。その他、脳梗塞、歯周病、慢性閉塞性肺疾患、 心筋梗塞、動脈硬化症、糖尿病、早産、低出生体重児、胎児発育不全など。
受動喫煙と因果関係があるものとして、肺癌、乳癌、鼻腔・副鼻腔癌、脳梗塞・心筋梗塞、乳幼児突然 死症候群、小児の喘息などが証明されている。
父は喉頭癌で亡くなった。男はたばこを吸うものだといわんばかりに、診察しながらでも喫煙していた。闘病生活は辛かっただろう。闘病時期は私を含め家族も振りまわされた。仕事に支障を来し、身内間での人間関係は荒んでしまう。半年後には亡くなった。このような事例は多い。
しかし、なぜ禁煙、受動喫煙防止に対して日本は弱腰なのか。喫煙者数は年々減少しているようだが、企業の受動喫煙防止対策は十分だろうか?多くの先進国は屋内を全面禁止とし、喫煙室を設置しようとする概念はないようだ。WHOの受動喫煙対策4段階評価によれば、現在の日本での受動喫煙対策は最低ランク。国会での審議を見る限り、一部の政治家が受動喫煙対策防止法の徹底に難色をしめしている。このご時世、なぜか、まだ昭和感覚の政治家が多い。労働者、妊婦、青少年、学童、幼児、新生児の健康問題よりも自分への一票をどう獲得するかを考える。こういう時にマイノリティの意見も大切だと政治家は言う。マイノリティを大切にするのは忘れてならないことだが、マイノリティがマジョリティを前に迷惑を考えず、マナーもなく、行動することには違和感がある。
財務省、厚労省が社会保障費をどうやって削減しようかと頭を抱える中、政治家は肺癌で高い抗癌剤を使おうが、喫煙、受動喫煙による疾病で企業の生産性に支障をきたそうが、あまり関心を示さない。もう少し受動喫煙の危険性を知っていただきたい。諸外国の状況を見ていただきたい。諸外国からの日本への評価を知っていただきたい。 もうそろそろ昔の慣習から脱却しなければならない。喫煙に対して教育が出来ていない。
鹿児島県内の市役所でしっかりと分煙対策が出来ているのは二カ所だけであるというのも驚いた。役所の職員もたばこ農家も市役所に出向いているのだから、喫煙場所を提供することは当たり前だと言う。 たばこを生産し、税金を納めているのだから、喫煙場所を提供するのは当たり前だという考えらしい?役所の職員も喫煙、受動喫煙の弊害に対して知識がない。むしろ、忌々しい情報には自分から耳を塞ぐ。まるでどこかのCEOみたいにDo not teach me.と言わんばかり。
国は受動喫煙を防止するだけではなく、若年者に対して喫煙、受動喫煙の有害性を十分に教育する施策を導入するほうが優先されるべきだと思う。

産業医だより 2018年12月

開業するなら産業医になれ!

津畑 修 
(つばたクリニック 院長)

   私は医師を目指した時から開業医を目標にしてきました。整形外科医7年目で専門医を取得した際に教室の教授から「先生は開業するのか、それなら今後、産業医は大事だから開業前には必ず資格をとりなさい!」と助言されました。その当時は産業医が何かも分からず、「うちの教授もいきなり何を言い出すのか?」と疑問に思ったことを覚えています。大学時代には脊椎脊髄手術に追われる日々を過ごしながら周術期の全身管理に没頭し、病棟と医局を行き来して患者さんの対応に追われていたことを思い出します。患者さんを診る為には整形外科のみならず他科との連携の重要性が身にしみ、他科の先生方に助けられ、整形外科以外の事を多く教わりました。その後医局を変え、勤務医を終えて、さて開業という時に教授の言葉が脳裏にあり、開業前の夏休みを利用して産業医大で産業医の資格を取得しました。産業医大の講義は新鮮で興味深く、医師としての活動範囲の広さを再認識させられました。
そして医師になって16年経過して念願の開業を果たしました。診療では生活習慣病を診る機会が多く産業医の知識は大いに役立っています。診察時は表情、食思、睡眠状態のチェックを必ず行い、全身状態を診ながら運動器診療を進めています。これもひとえに産業医のおかげです。現在では食事指導、運動療法を中心に脳梗塞や心筋梗塞の予防と特定健診、癌検診の重要性を患者さんに指導、啓蒙しています。
今年4月からは本格的に産業医活動を行うようになりました。職場におけるストレスチェックや疲労蓄積度、食生活、健康診断結果などを考慮して健康指導を行っています。医師もそうですが職種により作業環境の苛酷さや、それに伴うストレスの相違には驚かされます。指導する側の立ち位置、コーチング能力、職場や家庭環境を考慮した助言や、いかに自分の健康について興味を持っていただくか、また指導したことを実践していただき将来の健康管理に生かしてくれることを考え活動しています。職場の皆さんが健康寿命を延ばすために自己管理してくださるようになれば、産業医として本望です。
現在、医師会の先生方のおかげで産業医活動ができる様になり、心より感謝しています。産業医としてどうすれば相談しやすい環境をつくり、話を聞いて頂いてその方を奮起させることができるか、それから今後、医師としてどういう形で地域に貢献できるかを考えながら医療を楽しみ、幅広く予防医学を含めた医療活動を展開していきたいと考えています。 新規開業は困難な時代になりましたが、開業医のみならずかかりつけ医で産業医の資格のない方には是非、産業医になっていただき診療の幅を広げ、臨床の基礎となる健康増進、予防医学を推進していただければと考えます。

産業医だより 2018年8月

自分の産業医活動について

中村嘉彦 
(中村温泉病院 院長)

   平成28年より南薩医師会の産業保健担当理事になりました。この1年間はよくわからないまま地域や県医師会の会議などに出席したりしていましたが、最近になり仕事のペースに少し慣れてきた感じです。
私が産業医資格を取ったのは、15年程前のことです。当時は当院の先代理事長がいましたので、のんびりとゆっくり産業医講習を受けていた状況でしたが、先代理事長が病魔に襲われ、数年後に亡くなるということがあり、私が病院業務やその他の業務を引き継ぐために、急遽、残りの単位を、遠くの医師会主催の講習会まで出張して取りに行った覚えがあります。最近では、自院での産業医活動は出来ないので、関連施設2施設と先代から引き継いだ食肉工場の産業医をしています。自分の病院での診察業務をこなしながらの職場巡視や最近始まったストレスチェックの面談などを、四苦八苦しながら行っています。特に、ストレスチェックが始まってからは、ますます大変な仕事だな・・という印象が強く、内科出身の私としては、面談などで判断することが難しい局面に遭遇することも多くなってきています。面接の仕方なども自信が無いため、出来るだけ講習会や研修会に出席して、自分のスキルを高めようとしているところです。いつになったら、不安なく産業医の職務が出来るのだろうか・・と思うこともありますが、答えを求めても切りがありませんので、日々精進していけば、なんとかなるだろう・・という楽天的な考えで産業医活動を行っています。
日本経済や雇用などの問題を考えると、これから先も高ストレス、長時間勤務の問題も増えてくると思われ、ますます産業医の重要性が増してくるものと考えていますが、自院と兼務の産業医にとっては、仕事量や時間の関係で調節が難しくなってくるのではないかと危惧しています。特に最近、外国人労働者も増加している状態では、外国人に対する面接の対応や民族が違うことに対する考えられないようなストレスなどにも視点を向けないといけないのではないか・・と感じています。自分の産業医活動の範囲はまだまだ田舎なので、外国人労働者も少なく、今のところ、そのような場面に遭遇する機会もないのですが、都会ではそういう状況がすでに起こっているのではないかと考えています。そのときの対応や国別の意識の差、ストレスの違いなどを勉強する場所があるとありがたいと思っています。
まだまだ、修行が足りないという感じで、わからないことや判断しかねる状況も多く、これからもいろいろ勉強しないといけないことが多いと感じていますが、自分のできる限りを尽くして、今後も産業医活動には積極的に、意欲的に取り組んでいきたいと考えています。どうかよろしくお願いいたします。

産業医だより 2017年12月

我が国の低生産性問題

松本 滋
(大口温泉リハビリテーション病院)

 「さんぽ鹿児島」メールレター171号の編集後記に日本の生産性の低さに関する記述がありました。日本の生産性はOECD加盟国中最下位ではありませんし、規制緩和が生産性低下の一因かのように書いてあるのは明らかに間違いです。とはいえ、日本の生産性が低いのは事実です。分り易くするために2016年のOECD集計結果からG7各国の比較をしてみます。日本の労働生産性は20位です。米国8位、独国9位、英国16位、仏国6位、伊国15位、加国18位です。GDPの大きさ順に並べてみました(日本のGDPは米国の次)。編集後記では、生産性が低いがゆえに「長時間労働によって生産高(原文は生産性、筆者訂正)を維持していることを意味し、労働者の負担が大きくなっていることを示している」としていますが、これまた本当でしょうか。OECDの集計(2015年)から労働時間を見てみましょう。長い順で日本は22位です。G7では、米国16位、独国38位、英国26位、仏国34位、伊国21位、加国23位です。胸を張れる順位ではありませんが、しかし、私たちは思うほど働いてはいないのです。低い生産性にもかかわらず我が国のGDPが高いのは、主に人口の多さによるものと考えられます。

 人口の多さで維持してきたGDPですが、人口が減少することはわかりすぎるほどわかっています。そうなれば、それこそ編集後記の記述通り、長時間労働によって生産高を維持する必要が出てしまいます。22位の今でさえ長時間労働が問題であることは明らかなわけですから、このまま人口減少社会に突入すればよいことは一つもないと言えます。人口増加が望めない以上、回避するためには生産性を上げるしかありません。日本の労働慣習の中には良いものもたくさんあることはわかります。しかしそれでも、働き方を変えない限り日本に未来はありません。内閣が提唱する「働き方の改革」は、生産性の向上に資する可能性がある以上、是とすべきです。編集後記にあるように、メンタルヘルスや「労働の中身」云々で問題の焦点をぼかしてしまうことは、喫緊性のアピールを阻害することになりかねません。

日本の低い生産性の原因は多様で複雑です。一朝にして好転するとは私も思いません。しかし、まずは残業をやめ、休暇をとり、会議や書類を減らすという具体的な行動を起こし、その上で生産高を維持向上させるための投資と工夫を重ねていくしかありません。規制緩和を進め、就業者の割合を上げる必要もあります。「働き方」はもちろん、時間やお給料の使い方など、「暮らし方」も変えなければなりません。日本人に新しいライフスタイルの構築を促す必要があるのです。それこそが、役所やマスコミの新たな役割と考えます。
編集後記には一か所、そうかもしれないと思わせる箇所がありました。これからは、「産業医と産業保健スタッフの負担は増す一方」との一文です。「メンタル不調者の対応で長時間労働を余儀なくされる保健担当者」という、笑えない問題の根本を考えてほしいと思います。そこには低生産性問題と共通する我が国の労働行政、労働文化の宿唖が横たわっているはずです。

産業医だより 2017年8月

日本の未来を考えたときの喫煙の選択肢

福田  恒典   
(鹿屋市医師会 産業保健担当理事)

  敗戦し焦土となった戦後、怨恨より円滑な日米関係を優先した日本人の気質と勤勉さによって復興へ一丸となって上を向いて歩み続けました。生活の目標とした言葉は、アメリカンドリーム。私たちの親の世代は、筆舌に尽くしがたい我慢を強いられたそれまでにはっきりと背を向け、植木等のテレビに象徴されるようにひょうきんに振る舞い物質的豊かさへまさに均一的に脇目もふらず邁進していました。そして「国民生活に関する世論調査」で「自分は中流階級」と感じるようになったのが、1970年代以降でした。モノクロテレビも憶えている当時の私は鹿児島市上空に日立のキドカラーというテレビ宣伝用飛行船が旋回していたことを筆記中思い出されました。ベンケーシー,ローハイド,逃亡者,奥様は魔女,コンバットを日本全体が憧れの気持ちで観ていたました(昭和はまだ選択肢がなかった時代)。カラーテレビとなって間もなく「ミクロの決死隊(‘73日本初回放映)」を憶えていますでしょうか?人体の中を血管の中を治療設備のある艇体ごと人間もミクロ化され治療するなかで繰り広げられるSF映画です。そこには今から観ると驚くべきシーンがあります。モニターを観ながら医師団や科学者達は最先端の指令室でタバコを吸っているのです。当時はだれも文句を云う風潮はなかったように思われます。つい20年くらい前の研修医の時分までは診察室にも灰皿が置いてありました。同じようなデジャブは、私たちの子供が壮年期になって、居酒屋で皆な平気で喫煙している光景に驚かれるのではないでしょうか。アメリカ社会のたばこを吸う姿は、目標とした生活水準ごと、高度成長期そのものに組み込まれていたのではないでしょうか。
テレビでも流行ったひょうきんな気分と豊かさが安寧にいつまでも続くとの思いは、‘95年代阪神淡路大震災とオウム真理教のテロ事件を時代の分岐点として、躁的な高度成長期は終演し,長いデフレ経済に一変しました。鬱々した景気の長いトンネルから抜け出せないまま、地域包括ケアシステムの登場した現在から、団塊の世代ジュニア世代が終息する2060年頃迄、これから長く続く孤立死・多死時代と、世界人口の100億人(2060年)の増加傾向とは逆に、日本は少子化と経済規模の縮小によって、人口ピラミッドの逆三角形の社会保障費と税収が乖離していく世界の中でも珍しい不安定な経済を国債で賄おうとしているのです。2060年後には生産年齢人口は43%も減少しています。喫煙での疾病によって更に生活への負担を増す余裕はないことが判ります。子供や孫の世代はなんというでしょうか?
また、日本の今後の政策は、’20年オリンピック以降も外国人観光立国を成長産業の柱のひとつとしています。さらに、少子化時代の産業の担い手に、生産年齢人口層の定義の拡大と人工知能技術と摩擦を嫌う日本人にとっても移民を受け入れ、社会の役割分担を再考せざるを得ない状況になるでしょう。
これまでは鎖国の日本を守るために黒船に象徴される外圧に抗し変容した歴史でしたが、2019年からの新元号の時代は、初めて日本人自らが外国人を受け入れる新しい時代となると考えられます。FCTC(タバコ規制枠組条約;WHOの国際条約)で殆どの国は受動喫煙防止法を制定しているが、先に述べた日本の持続的に存続できるようにその必要性の動機を訴え方も説得力を持つと思われます。
私たち医療従事者は医学的エビデンスの観点から禁煙を説得することを主として啓蒙してきましたが、予防医学と社会の近い関係にある喫煙・禁煙の問題解決に於いては、車の両輪として日本の未来の社会・経済からみた見方も大切になると思われます。

参考図書;
問題は英国ではないEUなのだ 21世紀の新・国家論
人口学から見た二〇三〇年の世界 エマニュエル・ドット(文春新書)
日本の未来を考えよう第2章 人口編 出口治明 (クロスメディア・パブリッシング)

産業医だより 2017年4月

産業医学基礎研修会を修了してきました

今村 英世
(今村クリニック 院長)

 まずは! 今年から川内市医師会の産業医担当理事になりました今村クリニックの今村英世(えいせい)です。よろしくお願いいたします。

 産業医担当理事も成りたて、産業医にも成りたてで、特に専門的なお話や経験をお話することもできません。ですから、先日、産業医になるために参加した研修会の話を致します。この研修会で産業医取得された先生は懐かしく思い出してください。

以前から産業医をとるつもりはあったのですが、マメに研修会などに通って単位を集める性格でもなく、申し込んでいた産業医大での産業医学基礎研修会に参加できることとなり、一念発起、今年平成28年の7月25日(月)~7月30日(土)の1週間の日程で北九州の折尾の産業医大に行って参りました。

とある1日の日程
8:30~12:30 実習、 13:10~14:10 総括管理(災害への対応)、 14:10~15:10 有害業務管理(化学物質)、 15:10~16:10 総括管理(産業保健スタッフとの連携) 16:10~17:10 健康管理(身体障害者の社会復帰)、 17:10~18:10 作業管理(参加型産業保健プログラム)、 18:10~19:10 作業管理(業務形態)

遅刻厳禁、途中退出不可、研修会のあるホールからの出入りは認証カードで管理される。早朝に産業医大指定のホテルからぞろぞろと研修を受ける人間がバスにのり産業医大に集められ、この研修を1週間!受けました。

苦労して取得した産業医資格です。失効することなく、皆さんのお役にたてていければと思います。

産業医だより 2016年12月

私の産業医活動

尾辻 章宣
(医療法人三愛会 三愛クリニック 院長)

 日本医師会認定産業医の資格を取得したのは、30年ぐらい前になるでしょうか。確か、岡山市で行われた3日間の集中講義を受けています。当時は資格を得ても実質的な産業医の活動はほとんど行えていなかったと思います。単に健康診断の結果を踏まえて就業判定を行うのみであったと思います。1996年に、脳・心臓疾患などにつながる所見を有する労働者の増加、仕事や職場生活で悩みやストレス等を感じる労働者の増加等を背景として、労働安全衛生法の改正が行われ産業医の活動が動き出したような感じがします。

  現在は、50人以上の規模の3ヵ所の事業所で産業医の活動を行っています。それに、鹿児島地域産業保健センターを通じて50人未満の事業所の健康診断結果の就業判定、健康相談や長時間労働者に対する面接指導等も随時行っています。3ヵ所の事業所は、T社(配送業)、F社(ビルメンテ、指定管理者事業)、S社(販売業)です。夫々、産業医として健康診断結果に基づく就業判定、健康管理、月1回の職場巡視と安全衛生委員会への参加等を行っています。産業医として、労働者の健康管理を推進し、職場の健康意識の向上を図り、職場における作業環境の管理に努め、健康で活力ある職場づくりに貢献したいと思っています。ひと頃までは健康診断の結果、二次検査の受診率が低い時代がありましたが、最近では職員の意識レベルも上がり、二次検査の受診率が高くなってきています。早期発見・早期治療の必要性を今後も訴えていきます。
昨年12月からは50人以上の事業所でのストレスチェック制度が義務化され、メンタルヘルス面での活動が一層重要視されてきています。ストレスチェックは一次予防でもありますが、メンタルヘルス不調者の早期発見と適切な対応(二次予防)が求められていますので専門医との連携も重要になってきています。
ある事業所では、重篤なうつ病の職員に対し専門医と緊密に連携し、また事業所の産業保健スタッフとも問題点を共有することで、数ヶ月後には無事職場復帰することができました。この事例からも、早期発見の重要性、職場の理解と専門医との連携がいかに大事かを教えられました。
鹿児島地域産業保健センターでの体験ですが、長時間労働で面談に来られた方がいました。その方は月100時間を超えており、面談の結果かなりの負担がかかっていることが判明しましたので、事業者へ「時間外労働を少なくとも月45時間以内に制限すること」を提言しましたが、数ヶ月後も100時間を超えており再度面談に来られました。結果は初回と同様で、「時間外労働に関して厳格な配慮が必要」との報告を行いましたが、この事例は現場の悲鳴が上層部に伝わっていないと思われます。ただ、制度を利用しているだけのようにも思えてなりません。心身の疲労蓄積により自ら命を絶ってしまってからでは取り返しがつきません。事業者側の時間外労働者に対するもっと真剣な対応が求められます。
また、とある事業所でも短い期間で2回長時間労働の面談に来られた方がいました。かなりの心身への負担がみられましたので「長時間労働を月45時間以内にすること」を事業所側に求めましたが、そのとき、面談に来られた方は「そのようなことを事業者に報告されたら、自分は職を失ってしまうので意見書の内容を変更して欲しい」と訴えられました。その職場は全国的にも知られている事業所の関連会社でしたが、日本人の仕事に対する美徳(?)なのか、制度が整っても本当の意味での運用にはまだまだな感じを受けました。

最後に、産業医活動を通して感じたことを述べて責を果たしたいと思います。 自分が関わっている職場での立場は嘱託ですので、月1回の職場巡視と安全衛生委員会への参加も平日故、時間の捻出に苦労しています。また、ストレスチェック制度も始まり、今後、面接指導も加わってきます。今のところ何%の方が面接指導の対象者になるか分かりませんが、産業医の責任度合いが益々強まってきていることは事実です。また、50人未満の事業所の就業判定や長時間労働者の面談、それにストレスチェック結果による面接指導も受けざるをえません。50人未満の事業所に対する対応について、産業医の資格を持っていらっしゃる先生方のご協力も是非お願いしたいところです。

産業医だより 2016年8月

産業医活動

野﨑 義弘
(奄美市住用国民健康保険診療所 所長)

 30年前、医師になりたての頃は、産業医活動など全然やっていなかった。13年前、外科勤務医をやめ、2年ほど無医村だった過疎地の国保診療所に公設民営で働くことになった。産業医との出会いといえばそのときだ。先輩開業医に「開業医と同じだから、産業医の資格をぜひともとりなさい」といわれたのがきっかけだった。オープン前の開業準備で忙しい時期に1週間ほど産業医大に行って集中研修を受け、ガスマスクをつけた実習などもした記憶がある。当時大学病院の独立法人化の時期でいろんな大学から長老クラスの方が見えられていた。鹿児島大学第3内科納教授とも同窓生になれた。

 頑張って産業医手帳を取得し、その後も研修で毎年単位をとっていっても産業医としての活動はそれ程多くなかった。離島へき地では50名以上の事業所も少なく2事業所の定期健診の結果判定だけ数年続けていた。しかし、それは診療の合間で見たこともない方の判定を健診結果だけで行い、「就業制限」するかどうかなどを判定するという私にとっては負担であった。 職場巡視もしていなかったがある日、笠利の製糖工場の職場巡視を産業医数名でしたことがあった。工程の理解から始まったが労働者の作業姿勢、職場環境などまで思いを寄せなければならない非常に重要な職務だなと感じた経験であった。重要なのになかなか実施できないのは産業医が忙しかったり、職場の担当者意識の低さなのかなと思われた。産業医活動とは予防医療で、直接生産性をアップすることではないため企業側に伝わらないのではなかろうか。労働者が健康でいることが職場の生産性を上げ、ひいては企業に利するものであるが、私のメタボ対策と同様で重要なのに、なかなかダイエットできないのと何か似ている気がして、私には誰も責められない。

最近は自分のところは小規模だが任意でメンタルヘルス対策を講じようと思った。職員全員といっても5人検査したものの、分析できず職員から「個人情報知られたくない」といわれ「そうだよな事業主の自分が」と困っているところである。

産業医だより 2016年4月

産業医職務についての日頃の感想

曽於郡医師会産業保健担当理事 谷川 誠

 私は20年以上前に公立病院に勤務していた時に民間病院では考えられないような長い出張が出来たので、何かの学会があった際にたまたま医師会雑誌で見た産業保健の講習会に1週間参加して産業医の認定をもらいました。その講習を受けると労働衛生コンサルタントの試験も何科目か免除されると講師の先生が話していたのを思い出します。その後曽於郡医師会に入会させて頂き3年目くらいから産業保健担当を仰せつかっています。毎年種々の会議に参加することが出来て種々の職種の方々とお話しする機会がありとても勉強になりました。全く知らなかった種々の労働災害や疾病を知ることが出来ました。しかし現在まだ講演会の講師の先生方が言われるような活動はできていないと考えています。

 日頃の診療で気になることがあります。私は東南アジアその他の国々から来た留学生、研修生、その他の人たちと接する機会がよくありますが、彼らの多くが保険を持っていないことです。特に自分が夜間救急センターに勤務している時などにそれらの人が受診すると日本語、英語は通じず、検査をしようとすると保険がないので費用を払えないからしないでくれと言うようなことを言われます。そのような時は仕方なく検査はせずに一番安い薬を処方しています。これだけ外国の若い人達がいるのに研修生だから保険は作らないとか考えず受け入れる方も何か考えるべきではないでしょうか。実際は研修生の人達もかなりの労力になっていると思います。何か良い方法はないのでしょうか。今後このような事業は継続すると思いますがせっかく来てくれた若者に良い印象を持ち帰ってもらいこれらの事業が長く続く方法を考えた方がいいのではないかと思います。

産業医だより 2015年12月

就業判定について思う事

姶良地区医師会 産業保健担当理事 伊東 幸彦
(伊東内科クリニック)

 姶良地区医師会内にあります姶良・伊佐地域産業保健センターには従業員50名未満の中小企業から年間約1400件の就業判定依頼があります。今現在、この就業判定を姶良・伊佐地区では私を含め3名で行っておりますが、忙しい仕事の合間をみて行いますので中々大変でもあります。今後さらに依頼数が増加してきますと3人だけでは対処困難に陥る可能性が出てくるのではないかと危惧しております。その一方、多くの就業判定を行う中でどう判定してよいものか悩む症例が見られますが、そのことについて思うことを書いてみたいと思います。
書くにあたり、各事業所、産業医を取得されていない先生、もしくは取得に向けて研修会に参加中の先生方も読まれるかもしれませんので、基本的なことも述べたいと思います。

  まず、一般健康診断を受けた後は、診断区分に関する医師判定が必要です。診断区分とは「異状なし」「要観察」「要再検査」「要精密検査」「要医療」などを言います。これはどの先生方も一度は経験し、診断書や健診結果に記入されたことがあるかと思います。 また、診断区分とは別に医師等からの意見の聴取が必要になるのですが、即ちこれが就業判定になります。就業判定に関しては、労働安全衛生法第66条の4に「事業者は・・・・健診の結果(当該健康診断の項目に以上の所見があると診断された労働者に係るものに限る。)に基づき、当該労働者の健康を守るために必要な措置について、厚生労働省で定めるところにより、医師または歯科医師の意見を聴かなければならない。」と規定されております。意見の内容としては「就業区分及びその内容、作業環境管理及び作業管理についての意見」であります。
就業判定では、「通常勤務可」「要就業制限」「要休業」と判定しますが、簡単に言いますと、その従業員がそのまま仕事を続けていいか、勤務による何かしらの負担を軽減すべきか、療養のため一定期間仕事を休むべきかまで判定しなさい・・というものです。 健診結果だけ、即ち診断区分(異状なし、要観察、要再検査等・・)だけでもいいじゃないの?と思われる方も多いかもしれません。しかし、産業保健は、「安心して働ける職場つくり」であり、産業保健活動の目的は「労働によって健康が損なわれることなく、むしろ働くことによって健康が維持され増進されること」であります。産業医の資格を取得された先生方によって、健診結果だけではなく仕事内容などを加味し、労働者の総合的な健康増進を図るためにも就業判定が必要になってきます。

しかしながら、就業判定依頼は健診結果表の1枚のみで来ることがほとんどです。その従業員の仕事内容も分からず、要精密検査、要医療等判断されている一方で、きちんと精密検査・再検査を受けているのか、医療機関を受診し診察・治療を受けたのかすら分からないことも少なくありません。
そういうものに関しては、時と場合によって「判定保留」とせざるを得ない場合があります。
もちろん、精密検査・再検査は健康診断には入っていませんし、事業者側に義務付けられているものでもありません。
しかし、健診を受けた結果、精密検査、要医療と判断され、就業判定で判定できない場合は「判定保留」とし、精密検査・治療結果を添えて必要ならば面談も行い再判定・最終判定すべきではないかと思います。また、一方では「判定保留は就業判定に存在しないから、判定保留と判断すべきではない・・」という意見もあります。確かにそうなのですが、あくまでも判定保留は仮の判定であり、判断材料をきちんと揃えた上最終判定を行うのがいいのではないかと考えます。判定保留とせざるを得ない場面とは、どういう時かを考えますと「健診結果のみでは労働者の身体的または精神的な状態を判断するための情報が十分でない場合」「就業制限をかけるかもしれないレベル」「面談が必要になるかもしれない場合」 ではないでしょうか。
ところで、適切な意見を聴くために、事業者は「労働者に係る作業環境、労働時間、作業密度、深夜業の回数及び時間数、作業態様、作業負荷の状況、過去の健診結果に関する情報及び職場巡視の機会を提供」する必要があるのですが、健診結果を1枚ぽんと出されただけではわかりません。
また、事業者は「就業上の措置を決定するに当たっては、出来る限り詳しい情報に基づいて行うことが適当であることから、再検査又は精密検査を行う必要のある労働者に対して、当該再検査又は精密検査受診を勧奨するとともに、意見を聴く医師等に当該検査結果を提出するよう働きかけることが適当である」と労働安全衛生法66条の5第2項に書いてあります。ただし、再検査・精密検査は診断の確定や症状の程度を明らかにするものであり、一律には事業者にその実施が義務付けられているわけではありません。しかし、健診結果と共に再検査結果、精密検査結果など添えて提出されていると就業判定もスムーズに行えます。

就業判定で、どうしても「判定保留」とせざるを得ない場面もありますが、事業者側には従業員の勤務内容、かつ精査・再検査を指摘された者には受診を勧奨し、その検査結果を添えて各地域産業保健センターに依頼して頂けたらよりきちんとした判定ができるのではないかと思います。また、就業判定の結果によっては事業者に対し産業医・保健師からの意見・提言をし、職場訪問までもってく必要もあるかと感じております。

産業医だより 2015年7月

今年度からストレスチェック検査が始まります

東 剛造
(南薩地域産業保健センター 代表)

  桜の季節が終わり、芽吹いた新緑、鮮やかな彩りのつつじ、真新しい制服に身を包み元気に登校する生徒を目にしますと、新たな季節の訪れを感じるこの4月、この産業保健センター事業も三事業一体となってから1年が経ちました。
昨年の今頃、見切り発車の如くスタートしたこの事業に対し、コーディネーターから相談事も多くありましたが、県内に7つある各地域センターとの連携及び積極的な県医師会のサポートもあった結果、事業の問題点等を本部と話し合う会議も定期的に行われ、この事業の形が積み木のブロックの様に少しずつでも確実に積み上げられているように感じます。

  さて、みなさんご承知のこととは存じますが、今年の12月1日から労働安全衛生法の改正により、常時使用する労働者に対して、医師、保健師等による心理的な負担の程度を把握するための検査(ストレスチェック)の実施が事業者の義務になるとのことで、現時点での厚生労働省及び関連審議会の資料を読んでみました。それによると、今後、地域産業保健センター事業の登録産業医としても関わるこの検査のポイントとして、
① 検査の実施は従業員50人未満の事業場については当分の間、努力義務
② 一般健康診断と異なり、プライバシー保護の観点より、検査結果は医師・保健師等から労働者に直接通知され、労働者の同意を得ずに検査結果を事業所に提供することはできない
③ 検査結果を通知された労働者が面接指導を申し出たときは、事業者は医師による面接指導を実施しなければならない
④ 面接指導の申出をしたことを理由に労働者に不利益な取扱をしてはならない
⑤ 事業場は義務として全従業員にストレスチェックの機会を提供しなければいけませんが、労働者の側にはストレスチェックの受診は義務付けられていない
⑥ 医師との面接を人事部など会社に知らせたくないという従業員への配慮として、会社を通さず直接専門家に相談等を行える体制づくりをサポートすることが国の責務として定められた。産業医や保健師等の社内産業保健スタッフへの相談や、外部専門機関(医療機関・EAP機関)の利用などが想定される 以上のことから、ストレスチェックの主な目的は、うつ病等の精神疾患の発見ではなく、労働者が自分のストレス状況を把握し、セルフケアに取り組むことで、働く人のメンタル不調減少を期待して実施されるようです。

地域産業保健センター事業の相談対応には、メンタルヘルスに係る対応が入っておりますが、実際こちらの南薩地区では、相談事業場が年に1箇所あるかどうかという状況でした。これがストレスチェック検査を実施し、ポイント④に挙げた遵守事項があるにせよ果たして労働者は自ら面談に手を挙げ相談件数が増えるのか、また統計でメンタル不調者の件数が減少するのかは判りませんが、産業医として自身の診療科目外であるこの分野の知識向上が必要なのは確かなようです。

産業医だより 2015年5月

無煙社会への活動を広める日本禁煙学会

  福田 恒典
(鹿屋市医師会 産業保健担当理事)

  小学時に祖父母に連れられ’72東京上野動物園のカンカン、ランランなど東京見物に行った思い出がある。祖母が飛行機の中で「南無阿弥陀仏」と唱えていたのを子供心に笑ってみていたが、当時はまさか自分が揺れる沖縄便の中で同じように祈る日が来るとは思っていなかっただろう。この夏の心エコー学会も神戸まで新幹線で往復したのになぜ沖縄に向かったか。
その前に初めての投稿になりますので、簡単に私のルーツを少々紹介しておきたい。父は第二外科(一期生)後鹿児島大学病院(現鹿児島医療センター)を経て鹿屋市寿町に昭和46年開業し私は内科入局(二内循環器OB)後、当地で引き継ぎ開業しています。母方は海上・統合幕僚長などいるが多くは医師家系で大正12年万世小松原に川崎医院(長崎医専)を開業し、今は門柱だけ現存している(敷地は平成24年から薩南病院の医師住宅)。この夏までは、午前の診療は高血圧や糖尿病や禁煙治療など動脈硬化症関連疾患などを中心に内科外来を、午後は病棟指示回診を日々淡々と診療していた。

  理事に初めて任命された多くの先生方もそうであっただろうと察せられるように、私も年の順と云うことなのだろうか、これまで取り立てて積極的に取り組んでいたわけではなかったのであるが産業医であるというだけで、今年の夏に産業医担当(禁煙担当)に突然に任命されてから急に3倍くらい忙しくなり生活が一変した。これまで関わることもなかった地域の商工会議所会頭や教育委員会・教諭や行政の方々や県医師会産業保健担当川原常任理事の面識など心理的変化の影響も大きいように思われます。これまで専ら自院での禁煙治療で十分と思ってきていたが、このような心的変化に伴い地域のための禁煙活動に貢献もしてみようと、日本禁煙学会に入会の手続き後11月16日の学会及び認定指導医受験のために、開催地が知事選当日の沖縄だったために手に冷や汗握りしめながら飛行機に飛び乗ったのだった。そうはいっても医師会員として何もしていなかったわけではないのであって、鹿屋市は小学生のうちから喫煙のリスク教育について、今年で第13回となる親子体験健康教室を毎秋に鹿屋医師会も主体的に関わりミミズの実験を通して教育活動をしている。(当内容は日本禁煙学会の中心的な”日本禁煙学会編 禁煙学(南山堂)”中にも記載されている。改訂3版が刷新されたばかりなので是非御一読を) そのような経過によって初めて沖縄コンベンションセンターでの第8回日本禁煙学学術総会(山代寛会長)を試験目的だったので空いている時間に様子をみてきた。失礼ながら自分の想像に全く反して、規模も学術レベルも深淵多岐で遙かにスケールも大きいものだった。それもそのはずで私の考えているような地域の禁煙活動ではなく世界179カ国が批准するFCTC(タバコ枠組み条約)という国際条約に沿って世界と結託してまるでアヘンが歴史上の過去の出来事になったように無煙社会を目指して、あらゆる横の組織との高度な連携を多方面の分野から発信されていた。そのため、演題発表は各大学薬学部・法学部・看護大学など多岐にわたりと北海道・東北地区はもとより中国都市地区などの広域から参加、比較検討と貧困も大きく取り上げられミクロマクロ経済やまた喫煙側からの人権についても論じられ日本禁煙学の活動はとても魅力的に会に映りました。今年度のFCTC6条における最大の取り組みは、1箱1000円へ値上げを働きかけ喫煙人口と健康被害を抑制するとなっているようです。(他は紙面の制限上Webでご参照下さい)その今年の活動のアウトカムは如何に? 次回は平成27年11月21~22日に熊本市民病院神経内科橋本洋一郎先生を会長として熊本県でさらに盛大に開催されると思われる。会場は手に冷や汗握ることない隣県なので多くの先生方や鹿児島県内の全ての医療従事者や他職種の更なる禁煙治療知識と無煙社会への活動推進のためにできるだけ多く出席していただけるだろうと思われます。
私もこのような急速な変化の中で来年度からは、禁煙地域活動や産業保健活動全般により労することになるだろうけど過重労働から自分が倒れるのではないかと今から心配になっている。

産業医だより 2014年11月

かけだし産業医便り

  大西 浩之
(大海クリニック 院長)

  産業医歴は十数年はあったものの、ほぼペーパー産業医だった私が川内市医師会の産業医担当になったのは2年前でした。慌てて本を読んだりして何とかやってはいますが、嘱託産業医の難しさや奥の深さを痛感しているところです。自分の専門分野以外の医学の知識だけでなく、他業種のシステム等にも幅広い知識が必要な仕事です。しかしそのおかげで内視鏡ばかりしていた私が、うつ病や熱中症等自分の専門以外の勉強をするキッカケにもなり、少しだけではありますが面白さも感じられるようになってきた今日この頃でもあります。

   現在「少し難しいなあ」と感じているのが長時間労働の問題です。この一年間で数十名の方と面談をしてきましたがアベノミクスの影響でしょうか、現在派遣業や建設業は大変な人手不足の状況にあるようです。話を聞けば聞くほど派遣業や建設業の大変さを痛感します。(長時間労働といえば我々も随分と長時間労働をさせられてきた気もしますが・・・)
ある20代の女性との面談では「この仕事はずっとなりたかった仕事なのですが、夜は毎晩11時頃の帰宅です。休みは週に2日あるはずなのですが、月に2日しか取れずに疲れきっています。地元の親から電話がきても本当の事は言えません。本当の事を言えば実家に連れ戻されますから」と言われました。チェックリスト上は月に120時間位の残業となっているのですが、話を聞いているとどうもそれでは収まりそうにありません。そんな状況なので疲れて休みたい反面、人手が足りないのに自分が休むという事は同僚に大変な迷惑をかけるので「頑張らなくてはいけない」とも思っている様です。また上司に対しても自分が悩んでいるという事は知られたくない様です。おそらく昇進なども気にしているのでしょうか。これと同じ様な状況の方が数多くいます。指導をしながら私自身の他業種のシステムへの不慣れさと、本人の意向を尊重しながらも、必要なことを事業場に伝える事の難しさを痛感しました。レポートには「本人は頑張れると言っているが、問診や本人の表情などから、早急な改善が必要な状況である」と記載しました。 この問題は先輩の産業医に相談したりコーディネーターの助けを借りたりしながら、現在は何とかいい方向に向かっています。

最近は事業場などから時々講演を頼まれることがあります。そのネタ元として産業保健総合支援センターからレンタルできる資料やDVDは内容がとても分かりやすくて重宝しています。今も熱中症の講演を頼まれていて、パンフレットやDVDを元に資料作成をしているところです。今後もお借りすることがあると思いますのでよろしくお願い致します。

 

産業医だより 2014年7月

かかりつけ医と産業医

   鹿児島業保健推進センター 地域相談員 山内 慎介
(山内クリニック 院長)

  頼まれたら断れない性質で、気がついたらいろんなことに首を突っ込んでいて少々後悔することもありますが、頼まれるうちが花かな?と日々の業務に向かい合っています。 地域で開業していると、診療業務以外にも学校医、産業医、行政関係の業務、地域行事等多様な関わりが求められます。忙しいときには診療業務のみに専念できたらと思うこともありますが、一方では診療から離れたこれらの業務が気分転換になったり、新たな気づきとなったりすることもあり、可能な限りお受けすることにしています。

  産業保健との関わりは、18年前に開業後まもなく産業医を引き受けてからになります。30年くらい前の学生時代の講義(環境医学)では、いわゆる職業病対策といったイメージしかありませんでしたが、実際の現場では生活習慣病対策、そしてメンタルヘルスへと幅広い対応が求められるようになってきています。
現在3事業所(ワイシャツ製造業、と畜及び食肉処理業、鰻加工業)の嘱託産業医をお受けしています。月1回の職場訪問の際、健診後の事後指導、健康講話、インフルエンザワクチン接種等、衛生担当者の協力の下に活動しています。作業環境管理、作業管理についてはほぼ対策がなされており、やはりメンタルヘルスを含めた健康管理についての相談が多くなってきています。そういう意味では、まさしく“働く人のかかりつけ医”といった感じでしょうか。

“かかりつけ医”とは「国民が身近な地域で日常的な医療を受けたり、あるいは健康の相談等ができる医師」(厚労省)、また、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医を紹介できる「地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」(日本医師会)とされています。新しい医療計画でも医療機能の分化連携を推進し、かかりつけ医と専門医との連携体制を整備した医療計画が策定されつつあります。

産業保健の現場においても、かかりつけ医の立場での産業医(日医認定産業医)と産業保健を専門とする産業医との連携が重要であることは言うまでもありません。そういう意味でも、産業医研修会が医師会のTV会議システム等を利用して身近で受講できるようになったことは大変ありがたいことと思っています。今後も、産業保健推進センターの活動に期待しています。

産業医だより 2013年12月

産業医って・・・

   鹿児島産業保健推進センター 地域相談員 小倉 修
(恒心会おぐら病院 院長)

  2013/7月に突然のお手紙で「産業医だより」の寄稿をとの依頼があり、まずは「なんで私に?」と悩んでおりました。そういえば考えてみれば、昨年から医師会の産業医担当理事だったんだ、と今更ながら自覚した自分がおります。まあ、言い訳をいくら並べても文面は進みません。といって、産業医としての活動は小さな小学校の校医と自分の病院でくらいしか無いので、私の入院経験を報告させていただきます。
2010年9月30日、火曜日のことでした。いつものように朝7時に出勤し、受け持ち患者さんを回診。その後、8時からCTカンファレンスをしておりました。終盤に差し掛かった時に、頭痛が出現し、急に視力不良(調整困難な感じでした)が起きました。そしてすぐにろれつ障害出現。意外と意識は清明で、「ZAHかな?それにしてはあんまり頭痛が強くないけどな・・・ それとも後大脳動脈あたりの閉塞? にしては麻痺が無い様だが・・・」などと、外科医である私には乏しい神経内科領域の知識をたぐっておりました(専門の先生は決して突っ込まないでください)。でも、周囲は大騒ぎです。すぐにストレッチャーに乗せられ、即、MRI室へ・・・ *休話閑談

* MRIって結構音はうるさいけど、眠くなりませんか?

MRI撮像中に、当の本人はいびきを掻いて入眠してしまったものだから、更に大騒ぎになっていたようです。MRI終了して外に出てきた時には家内の大泣きしている顔が見えました。さすがにこの時はやばいのかなと思いましたが、結局、両側の椎骨脳底動脈の狭窄と閉塞があり、小脳脚付近に小さな梗塞巣があり、動脈造影などのさらなる精査が必要と診断されました。そんなこんなで、鹿児島大学医学部付属病院へお世話になり、血管造影・脳血流シンチなど施行いただき、内服加療で経過を診ましょうというお話になりました。
ちなみに、こうなる以前の生活は惨憺たるもので、飲酒・喫煙・食事は不規則・間食し放題など、およそ産業医としての自覚に欠ける生活でありまして、大学での主治医の先生に厳しくご指導いただきました。この入院中に一番印象に残っているのがバルーン留置でした。もちろん動脈造影ですので、意識下で挿入されたのですが、まあ、痛いし、違和感は強いし・・・ 患者さんが自己抜去するのもなるほどうなずけます。
話が少しそれましたので元に戻ります。結論から言うと、梗塞は大したことがなく、どちらかと言うと高血圧脳症であった可能性が高い印象とのことでした。退院後は即仕事復帰できるかなと考えていましたが、とんでもない。結構、易疲労性が強く、午前中のみの復帰に1ヶ月ほどかかりました。その後、タバコはきっちりやめ、ウィーフィット(笑われるかもしれませんが結構ばかにできませんよ~)で適度な運動を継続し、食事は規則正しくとまじめに1年間過ごしました。結果、採血はすべて正常化し、体重も10kgほど減り、血圧もコントロール範囲内に収まりとなかなかいい調子です。

現在、この体験を生かし、自分の所での産業医活動を行っております。しかし、ご多分にもれず、医療関係者の言うことの聞かなさと言ったら・・・
でも、くじけずに継続していくことに意義があると思っています。

産業医だより 2013年9月

産業医のつぶやき

   鹿児島産業保健推進センター 地域相談員 喜入 厚
(大島郡医師会介護老人保健施設 施設長)

  平成22年4月より、大島郡の産業保健地域担当相談員の委嘱を受け、現在に至っています。大変恥ずかしながら、以前より産業医の資格だけ持ったペーパードライバーでしたが、この3~4年の間に産業医の委託を3つの事業所(事務系、福祉施設、病院)から受けるようになり、産業医の責任とは?を自問し、早速産業保健ハンドブックなるものを調べたところ、大きく3つの項目「労働者の健康管理、作業環境の維持管理、労働衛生教育」が書かれており、現在それにそって曲がりなりにも活動しているところです。
それぞれの職場により、問題点の違いがあること、例えば、介護施設では、腰痛者が多く、その予防や指導を行うことが多く、病院では少し産業医の指摘事項とは異なる問題であるが、入院患者さんの廊下での転倒やベッドからの転落などの偶発的事故の予防の徹底に関して意見を求められるケースに度々遭遇する。また月一回の職場訪問では、職員からの健康相談を行っているが、事務系の職場でのメンタルヘルス不調を訴える相談が続き、その内容もさまざまで、パワハラ事例の対応の難しさを感じた次第で、その背景因子として、40人程度の小規模事業所であること、当事者は非正規職員であり、弱い立場にある事が伺えられた。具体的には、見目麗しい若い女性で、涙ながらの電話相談が私の施設に突然あり、訪問した職場では、周囲の目もあり、相談しにくかったようで、対応として、後日併設の医師会病院への早めの受診予約をとり、本人にできるだけ本音を話しやすい状況をつくり、なるべく時間をかければ、きっと落ち着いてくれるだろうと腹をくくり、聞き役に徹し、特にうつを示唆する様子もなかったので、最初の診療は40分程度を費やして終え、様子観察となったが、あに図らんや2週間ぐらいしてから、私への再度の相談申し込みの電話があり、再度十分な病院外来での慣れない心療内科医を経験せざるを得なかったわけである。しかしながら、相談内容は、彼女のメンタル不調は全く改善されておらず、私の能力では解決できないとの結論に達し、産業保健ハンドブックのメンタルヘルスケアのマニュアルに沿い、職場での対人関係の問題であり、上司(管理監督者)への相談を促すこととし、またその上司にも相談があるかもしれない旨、定期の職場巡視の際、口頭で、職員の名前は伏せて、コーディネートした次第である。しかし、やはり、小規模事業場の特徴かもしれないが、会社の問題は会社の人には、心情的になかなか話づらいようで、再度、後日、本人から話を聞いてほしい旨の電話があり、その後本人から、病院での前回、前々回とほぼ同じような内容の話を聞かされたあと、結論として、本人納得の上、専門医(メンタルクリニック)への紹介となったのである。その後、職場訪問のたびに、本人の表情などから心理変化を探ってみるが、軽い安定剤を処方されたようであるが、大きな変化もなく、経過している。
他の2つの事例も、最初から専門医へ紹介しているが、メンタル不調の対応はデリケートな問題がその背景にあることから、外科医には、一筋縄にいかないことがしみじみ感じさせられ、これからも経験しながら、研鑽を積み、産業医としてTHPに取り組んで行きたいものである。

 

産業医だより 2012年11月

南極産業医

  宮田 敬博
(医療法人開南 理事長
池田診療所 所長)

  私の産業医活動といっても、小さな企業に月1回顔を出しているのと、学校産業医として小規模校を1校担当しているだけで、何もみなさんの参考になることはない。
ただ私は日本南極観測隊に医療担当として2回参加し越冬している。厳しい自然環境の中で、30数名で過ごす特殊環境。越冬中は帰りたくても帰れない、誰も訪ねてくることもない閉鎖環境。事故が起こってからでは私ひとりで限られた資機材を使って対応しなければならない。何よりも予防が大事。危険を回避し、自分の身は自分で守る、そういう意識付けが大事である。今思えば究極の産業医活動のできる場所が、南極昭和基地にはあった。
でも残念ながら、私が産業医の勉強を始めたのは南極から帰ってからであった。行く前に産業医の勉強をしていれば、少しは日本の南極観測にお役に立てたかもしれないのに・・・一緒に南極に行ったみんな、ごめん!!  その罪滅ぼしのために(?)、今依頼があれば安全大会などで私の南極体験談を話している。といっても南極の壮大な自然とその中での楽しい越冬生活、愉快な仲間たちの話である。難しい話はとてもできない。
オーロラ、ペンギン、アザラシ、ブリザード、どこまでも続く真っ白な大地・・・壮大な自然の前では人間はちっぽけな存在でしかなかった。一歩外に出れば命を落とすかもしれない自然、しかしそのような中でも観測隊は、みんなで力を合わせ、工夫をすることにより、快適で楽しい生活を送ることができた。お互いを思いやる気持ちを持った集団のチームワークが、素晴らしい力を生むことを知った。
そんな人間って素晴らしい。特に日本人は勤勉でお互いを思いやる心を持った素晴らしい民族である。昨年の東日本大震災、改めて自然の脅威の前ではいかに人間が無力であるかを思い知らされる大変な災害であった。しかしそんな中で被災地の方々がお互い助け合っている姿が、世界中の人たちを驚かせた。日本人って素晴らしい、それを再認識させる出来事であった。そういう自信や希望や夢を子供たちに持たせてあげること、それは私たち大人の責任である。

そのためには私たち大人が毎日を、健康で明るく楽しく力強く過ごしていく姿を子供たちに見せてあげることが大事である。仕事を楽しむ、趣味を楽しむ、厳しい環境を楽しむ、人との出会いを楽しむ、人に感謝されることを楽しむ・・・そういう人生って楽しいんだよということを子供たちに伝えるためには、健康第一。事故のないように安全管理に努め、また病気にならないように健康管理に努めてください。
そんな話をいつもしているが、要は私の話を聞いて、南極に行ったような気分になって、ちょっと元気になって帰ってもらえればいいかなと思っている。 話している本人が一番楽しそうとよく言われるが、それが伝われば私の話は成功と思って、これからも南極の語り部を続けていくつもりである。

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産業医だより 2012年8月

ー産業医学は難しい?-

  鹿児島産業保健推進センター特別相談員 草野 健
(JA鹿児島県厚生連健康管理センター 副所長)

  産業医学とはどんな学問なのか。臨床医学に埋没していると「?」が多い世界でもあります。私自身は、医学生時代からフィールド活動をしていたこともあり、予防医学関連の用語は抵抗なく受け入れることが出来てきました。 駆け出しの医者のころ、上からの命令で胃集検の世界に入った時も、学会で飛び交う専門的疫学用語にも直に馴染みましたが、途中から参加した先輩達の中には「わけの分からん言葉で惑わされる」などと文句をいう先生もいました。確かに、発見率などの誰でも馴染める用語だけでなく、Predictive value, False negative rate, Relative risk, Odds ratio, Efficacy, など、臨床の場では殆ど使うことのない用語が頻繁に用いられています。こういった単語が飛び出すだけで聞いている者は理解が妨げられます。
産業医学の世界も同様の質を持っています。多くの日本医師会認定産業医の先生がいますが、産業医学、産業保健の分野では極く当然のものとして使われる用語も、臨床医学に専念している医者にとっては理解し難いものも少なくありません。3管理だけでなく管理区分、管理濃度、管理者など「管理」という言葉が多出しますし、さらには特定化学物質にMSDSや局排、OHSMS、PDCA、RA、などの用語は、産業医学活動を日常的に行っている者にとってはお馴染みの言葉ですが、このような用語を多用すると多くの先生は付いていくのも困難なようです。
また、バイブルのように常時携帯して参照している者にとっては使いやすく価値のある「労働衛生のしおり」も臨床医にとっては使い勝手の悪いもののようです。

産業医の活動は、労働安全衛生法を中心に法令や通達・ガイドラインなどの国の施策に基づいて行われます。産業医の本務を全うするためには、これら法令と国の施策に精通し、それを使いこなす能力が必要です。しかし、多くの医師は、学生時代に衛生学・公衆衛生学などを履修してはいても、予防医学の本質もその追求する方法論も身に付けてはいないようです。
産業医学は基本的に予防医学です。予防は診断・治療が中心というよりそれで完結する臨床医学とは根本からアプローチ法に違う面があります。臨床医学の成果を十分に活かしながら、社会学や経済学、人文学などの幅広い学問を総合して初めて成り立つ学問です。一人で全てをカバーすることは不可能ですから、多くの分野の人との対等な立場での協力が必須となります。産業医が産業保健の実を挙げるには、予防医学的視点と方法論を持って、さらに対象事業所の業務内容を熟知する必要があります。

産業医学では臨床と違って「これが正解」というものはない、と言われます。100%の正解がない代わりに、常に複数の「妥当解」が存在します。私達は常に1度出した解で満足せず、より妥当な「解」を求めていく必要があります。この辺りのことも臨床中心に産業医をしている先生方の理解を求めることも必要でしょう。


 

産業医だより 2012年2月

私の産業医履歴

  鹿児島産業保健推進センター特別相談員 牧野 正興
(社会医療法人 義順顕彰会 田上病院 内科常勤医師)

  昭和51年4月、それまで10年間勤務した鹿児島大学病院放射線科から出向先の国立鹿児島病院に赴任し、その後連続31年間勤務しました。
この間、日本医師会の認定産業医制度が開始されて間もない昭和50年代の初期に、東京での3日間?の講習を受けて産業医の認定証をもらいました。国立鹿児島病院はその後、南九州中央病院、九州循環器病センター、鹿児島医療センターとカメレオンの如く名称を変えて現在に至っています。
私の勤務した国立病院の放射線科に大学の医局から派遣されてきた若い先生達には、生涯勤務医として過ごすか、或は開業するかに拘らず、出雲の安来節ではないが“産業医の認定証”は持っていても“荷物にはならないだろう”と言って、進んで講習会に出席させるように指導しましたので、結果的には国立病院にて共に仕事した殆どの放射線科医は次々に産業医の認定証を取得しました。

近年、産業医は制度として完全に定着した感があり種々の職場に専任の産業医が選任されています。しかしながら、国の施設には“産業医”はいません。
国立病院では「健康管理医」という産業医に相当する職種があり、私はこの健康管理医を永年にわたって担当してきました。“産業医”はいませんが安全衛生委員会は法律通りに存在し、実際は健康管理医が産業医の活動をしています。

国立病院を定年退職した後、西之表市の田上病院に常勤医師として勤務する事になり、現在初めて田上病院の「産業医」をしています。
更には県立高校の産業医にも選任されて、高校の安全衛生委員会にも出席しています。高校の産業医として判ったことですが、離島勤務には単身赴任の先生も少なからずおられるということです。そのためでしょうか食生活の問題が関与しているものと思われる 脂質異常症、2型糖尿病、高血圧症、高尿酸血症などいわゆる生活習慣病として治療の必要のある職員がかなりいることに驚きました。
尿酸値の異常者は13人/58人で22.4%となっており、逆に定期健康診断の結果に基づく事後措置の指導区分で全く正常の生活で良く(D)、医療行為が全く不要な者(3)に分類されるD-3 群は21人(36.2%)でした。6割以上の職員が健康上の問題を抱えていることになり、こんなものかと認識を新たにした次第でした。
対人関係などメンタルヘルス面での問題は、田上病院心療内科とタイアップして対処しています。日教組の運動が盛んであった時代と異なり、日教組の組織率が落ちたと言われている現在は教員間の対人関係も比較的に良好な環境にあるように感じられ、メンタルヘルスの問題もなさそうです。

 

産業医だより 2011年7月

産業医のびっくり

  鹿児島産業保健推進センター地域相談員 帖佐 理子
(医療法人大誠会 若松記念病院 理事長)

  驚きを報告させてください。まず、ひとつめの驚き。
糖尿病の患者さんですが、初診時に話を聞いていたところ、「これまでは産業医とは違う医師に診てもらい、健康診断の日には、空腹採血だから朝食を食べないが、血糖降下薬だけは呑んで行き、健康診断にひっかかったことは無いよ。」と。ええっ!!まあよくぞ、低血糖での事故もおこさずに過ごされました。しかし、HbA1cが項目に入り、みごと網にかかったのでした。

そういえば、20年ほど前に聞いた知人のことを思い出しました。東京の大企業に勤務していましたから毎年きちんと健康診断がありました。糖尿病があったのですが、会社に知られまいと健康診断の数日前から摂生に努め、健康診断を異常なしでクリアし、普段は、接待を理由に(言い訳に?)大食と多酒で過ごしていた。
そして退職後に網膜症が急激に進行しほぼ失明状態になった。楽しみにしていた読書ができず不機嫌な毎日を過ごしている。というのです。以前は、ほとんどの会社でHbA1cは健康診断の項目にありませんでした。定年後ですから医療費の負担も大きく、まさに職場に健康をささげたようなものでした。
職員にとっては、ひたすら健康診断でその日に異常を指摘されないことが大事のようです。産業医は職場の安全のため、職員の健康維持のためにあると認識していただけるようにアピールしたいと思います。

2つめの驚き。私は保育園の産業医を担当しています。
数年前のことです。健康診断の判定で2名の職員に鉄欠乏性貧血が疑われるので治療を受けるよう指示しました。ところが翌年の健康診断で未だ受診していないことが判明。園長に、これでは何のための健康診断かわからないではないか。と話しましたところ、園長が驚きましたが、驚いた中身にこちらが驚かされました。
園長いわく、健康診断を職員に受けさせ、産業医から印鑑をもらった書類がそろっていることが大事であった。市役所の年に一度の監査をクリアするための書類という認識であった。健康診断を受けさせるという義務を果たした。ということで安心していた。「そうかあ。健康診断は病気の早期発見、早期治療のためだったのだ。」と新発見。という感の園長だったのです。健康診断の内容、産業医からの指示は、全く眼に入っていなかったそうです。ただ、実施されたか、産業医の印鑑が押してあるかだけを確認したそうです。
職員をないがしろにしていたわけではありません。職員を大変大事に考えている園長だったのです。驚きの後は、すぐに職員に受診を勧め数ヵ月後には、治療、治癒を確認してくれました。以後は、健康診断後の指示を確認してくれるようになりました。

最後におまけの驚き
保育園では、園医もやっています。子どもたちの健診をしていたら、あらら頬のふっくらした子がいました。耳下腺炎ですね。お母さんにお迎えを頼みましょう。他の園児たちから離して職員室へ。健康診断を終えた私が職員室に行きお茶をいただいているところへ、その園児のおかあさんがお迎えにみえました。いまどき珍しい5人目のお子さんとかで慣れた対応です。
そして、2週間ほどたったある夜、顎に痛みを感じた私が鏡の中に見たのは、両頬を腫らした自分。50過ぎて感染するなんて!!薩摩川内市に耳下腺炎流行と翌日の新聞に出ていました。(私はMumpsの抗体価上がらず、他のウイルスだったようです。また耳下腺炎起こす可能性ありってこと?)

 

産業医だより 2011年5月

産業医便り

  中村 教子
(プリムラクリニック 院長)

  十年一昔と言いますが、私の産業医歴は20年に及びます。
その発端になりましたのは同僚からのある情報でした。

「産業医が重視される時代が必ず来るから産業医資格は取得しておくようにと○○先生からアドバイスを受けた!」と、ある日、同僚が教えてくれたのです。産業医の業務がどのようなものか明確には理解できていなかったのですが、“働く人たちを護る仕事”には関心がありましたので、その友人と話し合った末、日本医師会主催の基礎講座を受講するため共に東京へ出かけました。その講座は3日間連続だったように記憶していますが、当時、まだ幼かった子供二人は実家に預かってもらいました。
産業医としての仕事始めは、勤務先病院から要請された健診後保健指導や衛生講話程度でしたので、通常の臨床業務の延長に過ぎませんでした。本来の産業医とはどのようなものかと考えつつ、自信のないまま数年が過ぎました。

本格的に産業医活動を開始できたのは平成11年になってからで、初めて嘱託産業医の依頼を受けた時は、天にも昇るようにうれしく感じたことを覚えています。
その後、有能な先生方の教えを受ける機会に恵まれ、嘱託産業医契約も少し増え、現在は毎月第一、第三、第四木曜日の午後は事業場に出かけています。
契約先はいずれも事務職場で、主な業務は労働衛生委員会への出席、健康診断関連業務、健康相談、職場巡視になりますが、この数年はメンタル不調の労働者が多く、その対応に追われるようになりました。
本人、上司、場合によっては家族との面談、主治医との病状経過についてのやり取り、休職復職に関する助言や指導等、苦労しています。ただ、それぞれの会社には経験豊かな保健師や衛生管理者が配属されているため、業務上の特性や職場の人間関係について適切に情報を伝達してもらえる体制が整っています。
彼及び彼女たちとのパイプが出来上がってからは、仕事の効率が上がり感謝しています。時間はかかりますが、面談を重ねるに従い相談者の硬い表情に笑みや生気が甦り、立ち会う三者、四者間の気持ちが通い合うようになる頃には同胞意識の芽生えさえ感じるようになります。口下手の私ですが、産業保健スタッフに支えられ、少しは役に立てるようになっていると密かに自己満足することもある昨今です。

ところで、皆様は鹿児島労働衛生研究会という会をご存知でしょうか。 この研究会は鹿児島産業保健推進センターの前所長・松下敏夫先生の発案で、加治佐隆先生、橋口良紘先生と御一緒に立ち上げられたものです。 当県の産業保健にかかわる方々の研鑽の場をつくり、専門的知識を持った人たちの養成を祈念し、三人の先生方がつくられた研究会だと私は理解しています。
今年、十周年を迎えました。 医師、歯科医師のみならず、保健師、看護師、衛生管理者等、いろいろな職種の方々が参加されます。会は年4回開催されますが専門性の高い情報提供があり、それに対する質疑応答はいつも活発です。和気藹々とした雰囲気の中で熱心な質疑が続きますので聴いているだけでも非常に勉強になるユニークな会です。
産業保健関係の業務にあってスキルアップを図ろうとしている方、労働安全・衛生コンサルタントを目指している方、産業保健に関心を持っているが如何に学べばよいかお悩みの方、等々、是非、一度ご参加ください。(次の研究会は、今年11月24日に予定されています。詳しくは鹿児島産業保健推進センターヘお問い合わせください。)
私もこの研究会で多くのことを学び、仲間をつくり、その成果を産業医業務に応用・実践している一人です。“産業医としての私”はこの研究会に育てられたようなもので、入会の機会を与えられ実に幸運だったと考えております。  次の研究会にガッツのある新顔が増えることを心から期待しています。 どうぞよろしく!

 

産業医だより 2010年9月

産業医のデパート

鹿児島産業保健推進センター特別相談員  橋口 良紘
(橋口労働衛生コンサルタント事務所 所長)

産業医とは

働く人たちが自ら保健活動を行うのを援助するとともに、その事業場や作業現場が快適な環境になる様に指導助言する医師を言います。難しく言えば職場の3管理「作業環境管理」「作業管理」「健康管理」を行う医者と言うことです。
さらに厳密に言うと、働く人々の健康のために、産業医には少なくとも月に1回は職場巡視をし、安全衛生委員会に出席し、上述の3管理(作業環境管理、作業管理、健康診断の事後措置などの健康管理)のほかに、保健指導、健康相談、労働衛生教育、講演、健康保持増進活動など多岐にわたる事項が期待されています。

産業医活動は完全に遂行しようとすればかなりの精力を傾注しなければなりません。いろいろの理由で、いろいろのレベルで産業医活動が滞っているのが現状のようです。
私が関与しているうちから代表的な三つのパターンを示し、産業医活動活性化を考えてみます。

挫折社

安全委員会がありますが、協議されるのは業務に支障をきたす事故をなくするための安全協議であり、職員の安全衛生に関する問題を協議する場所ではありません。
それでも、出席したいので開催の日時を連絡して下さるように再三申し入れてきましたが、音沙汰がありません。担当者が交代したので連絡を期待していたのですが、安全委員会への出席は実現していませんし、会社へ行くこともなくなりました。
楽するほうへ傾く気持ちも後押しして、諦めとともに、健康診断報告書に署名捺印するだけの産業医に終わっています。

楽しみ社

安全衛生委員会を立ち上げて毎月開催するように指導しましたが、会社側で準備する議題が次第に少なくなり先細りして、休会となることが多くなりました。
たまたま担当者が替わったところ、安全衛生委員会もそれなりに開催する努力がみられ、健康診断結果の事後措置について相談を受けるようになりほぼ完全に実施できるまでになりました。
担当者は健康相談者のリストアップをして、つとめて相談を受けるように手配しています。
職場巡視も積極的に立案し、チェックリストなど制作して騒音、熱暑の環境測定を始めました。

順調社

安全衛生委員会は定期的に毎月開かれ、議題は豊富で熱心に討議されています。
産業医は会の冒頭で10分ほどの衛生講話をするのが恒例になっています。またメンタルヘルス対策の一環としてメール相談の窓口になっています。
最近はリスクアセスメントを検討し始めており担当者からはいろいろと相談が持ちかけられてきています。
健康診断の事後措置は完全に行われており、健康診断結果をもとに産業医が健康相談者のリストアップをして実行しています。

担当者がキーポイント

どの例でも熱心な担当者の存在が産業医活動の成否を担っています。職場の安全衛生の向上は産業医の関与するところが大だとはいえ、担当者の熱心さには及びません。
したがって、産業医に対応してくれる熱心な担当者を見つけることが肝要となってきます。産業医と会社は接触の機会が少ないうちに、会社は忙しいからそれどころではないだろうと遠慮して訪問しない、先生は忙しいから迷惑だろうと相談しない、とますます疎遠になってしまいます。
担当者はその間をとりもって、産業医に頻繁に相談を持ちかけ仕事をさせるということになればしめたものです。
産業医は多岐にわたる産業医としての職務はさておいて、最も得意とする分野である働く人の健康管理から入って会社の人と良い関係を作っていき、担当者等と協力して徐々に業務を広げていけば良いでしょう。

 

産業医だより 2010年7月

 

さんぽ鹿児島掲載分

減量の経験と指導のコツ

大口伊佐医師会 水間 信寿
(医療法人 柏葉会 水間病院 副院長)

  昨年1月、飲みすぎ食べすぎでお腹を壊しました。持続 点滴で約1週間絶食しました。そのときに岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」を読みました。1年間で117kgから67kgに痩せたというのです。 その方法とは「レコーディングダイエット」。メモと鉛筆だけで痩せたというのですから聞き捨てなりません。

さっそく2月初めから実践し始めました。妻も一緒に始めました。食べたものを全てメモするだけです。1〜2週間メモだけを続けると「書くのがメンドくさいから食べない」という気になって食べるものが減りました。また、無意識に物を食べたり飲んだりすることがなくなり、加えて「こんなに食べてたのか!」と現状把握もできました。
メモだけの時期を過ぎると、カロリーを1日1500カロリーに抑える時期に入りました。もともと大酒飲みでありましたが「お酒大学を主席で卒業した」と称してやめました。空腹感はあまり感じませんでした。よく噛んで(50回くらい)食べると満腹感が得やすくなりました。

脂肪の代謝に水が必要ですので、わたくしの場合代謝を維持しやすくするため白湯を1日1500〜2000ml飲みました。食事の内容ですが、第一三共株式会社が運営するサイト「eヘルシーレシピ」が参考になりました。(http://www.daiichisankyo.co.jp/ehr/)食事のカロリー制限に加えて、マルチビタミン・ミネラルのサプリメントも併用しました。体の欲求に敏感になると、足りない栄養素を含む食べ物を自然と欲するように なりますが、その境地にいたるまではサプリを併用した方がよいと思います。肥満も栄養障害の一種というのは本当です。運動も取り入れ、無理のない範囲でほ ぼ毎日昼夕食後10分くらいづつ歩きました。

肥満者というのは、腹が減っていなくても食べています。肥満は1日にして成らず。それまでの生き方の集大成が肥満なのです。真に体が欲するものを食べるのではなく、外界から入力された情報で喚起された頭の中の欲求に従い続けるのが肥満者です。

ダイエットの結果、夕食後の体重でいいますと、2月10日には86kgでしたが、10週間後の4月20日には67kgまで19kg体重が減りました。その後も順調に減り続け6月12日現在66.4kgです。妻は同期間で約10kg減量できました。やはりパートナーが居れば、お互い牽制して意地でもダイ エットを続けられます。

さて、産業医として幾人かの方にこの方法で減量を指導していますが、自らの経験をもとに減量指導のコツを箇条書きにしてみます。

  1. 指導する側が肥満ではないこと。
  2. 性格に合わせた減量方法を提案すること。
  3. 日常生活で無理なく続けられるようにすること。
  4. できれば共に減量するライバルがいること。
  5. 苦と楽をからめること。
  6. 少しの成功を大いに褒める。失敗も褒める。
  7. 体重をグラフに記録し、視覚で成果を確かめられるようにする。
  8. アルコールはできれば禁止。どうしても飲みたければ、3日以上連続の休肝日を勧める。
  9. 肥満者は正確な自己認識ができていないことが多いので、まず同じくらいのBMIの人と体型を比較し、正しく肥満を認識してもらう。

1.は当然ですね。指導する側が百貫デブでは説得力がありません。
2.マメな方がレコーディングダイエットに向いています。ズボラな方は動機付けから工夫して、積極的健康観を芽生えさせることから始めたほうがいいようです。
3.運動するのは結構ですが、クルマで1時間もかかるような遠いフィットネスクラブに毎日通うというのはムリです。家や職場で10分歩くとか、室内でできる簡単なエクササイズというような持続可能でお金がかからない方法がベストです。
4.一緒に痩せる仲間がいれば、楽しく競い合って痩せられます。
5.例えば飲みにいくのにタクシーで行っていたのを自転車にするとか、ウォーキング中に好きな音楽を聴くとか、楽しみながら続けられるように工夫します。
6.たとえ1ヶ月で1Kgしか減っていなくても、大いに褒めます。もし体重増があっても「痩せる余地が増えてよかったじゃない」とか「痩せる楽しみが味わえるよ」とか前向きに声かけをします。
7.数字のみで見ているより折れ線グラフで見たほうが一目瞭然です。「グラフ化体重日記」というのも市販されています。これを渡して記録してもらうのもいいでしょう。
8.鹿児島の男性には飲む人が多く、「禁酒をしてください」というとそれだけで即座に「ムリ!」と投げる人がほとんどです。経験上、1日アルコールを飲む日があれば、その後2日は減量できません。おそらく水分と中性脂肪が抜けにくいのでしょう。ですから、3日間休肝日とすると、最初2日は脂肪が代謝され なくとも3日目には脂肪が代謝されます。ですから連続3日間以上の休肝日を設けるべきです。もちろんスピーディに痩せたければ飲まないのがベストです。
9.
肥満者は、自分をより痩せていると間違って認識していることが多いです。これを私は勝手に「デブ失認」と名づけています。正しい現状把握から始まるのは、不良債権処理もダイエットも同じです。最も大事なのは、自主性を喪失させないこと。自主性の喪失は死に繋がります。無理強いや医学的データでの脅しは禁物です。

最後に、わたくしのダイエット前後の写真をお目汚しですが掲載します(写真省略)。ダイエット前は、水死体か民泊している地方巡業中の相撲取りのようです。これはいけません。病気になります。ダイエット後は、「ちょっと痩せた西郷さん」という感じです。痩せたあと、毎日会っている妻に病院ですれ違うと「こんにちは〜」と愛想よく挨拶されたり、逆に近所のお爺さんから挨拶されなくなったりしました。これはつまり「夫だ」、「水間病院の医者だ」という認識よりも「あいつはデブ」という認識の方が優位であったことの証左に他なりません。デブじゃなくなったわたしは、他人から認識されにくくなったわけであります。人間、大事なのは見た目です。

 

さんぽ鹿児島 第49号(2009年1月)掲載

 

 

私の産業医活動について

大島郡医師会 稲 源一郎
(医療法人 圭泉会 稲医院 医院長)

  産業医より嘱託医の呼称の方が私にとってはなじみ深い言葉である。私が医師になる前であるが、親父の話の中によく出てきていた。当時、企業も医療界も活気があり、元気もあったが、時間の流れも現在と比べるとゆっくりとしていて色々な面でゆとりがあったのであろう。嘱託医の温泉地での集いで、お酒を交わしながら夜遅くまであった懇親の様子を楽しそうに父が話していたことを思い出す。

昭和47年3月1日から大島電力は九州電力となり、父は昭和51年から嘱託医を拝命し、その後法制度の改正に伴い産業医となる。当時は奄美出身が多く働いていたせいなのか、九州電力奄美営業所の健康診断では、アルコール依存症、アルコール性肝機能障害、高血圧症、高脂血症が多かったらしい。交通の便も良くなり単身赴任者が増え、島外の職員が多くなった現在、そのことが関与しているのか、メンタルヘルス関係の疾患が増加している。

私が産業医になるに際し、恥ずかしながら崇高な意志はほとんど無かった。思い出すと、嘱託医として父が働いていた孤児院があり、小学生の頃何度か父と供に訪れたことがあり、医師になったときに何となく、その孤児院の嘱託医にならなくてはと考えていた。しかしその後に施設は廃止されてしまった。その私が父の勧めで産業医取得を考えた。

現在、親父と共に奄美市で開業している。大学から奄美に戻ってきたのは平成9年のことである。通常は、大学在籍中に産業医の資格を取得するらしいが、そのような用意周到なことにはしたことがない。というより生来の性格であろう。そのような私が親父に勧められるままに産業医の資格を取ることにしたが、割にすんなりと単位が取れた。専門がリハビリテーションということもあり、帰島した頃は珍しくはあったであろうが、患者も少なく時間があった。また単位取得のために鹿児島へ上る楽しみもあったからであろう。

取得後は瀬戸山史郎先生のご配慮により奄美での講習が定期的に開催され、鹿児島行きの楽しみはなくなったが、それ以上に講習会後の瀬戸山先生はじめ講師の先生を囲んだ懇親会の楽しみが増えた。

奄美市に大島郡地域産業保健センターがある。平成8年8月から大島郡医師会が受託し、運営している。私も昨年までは運営委員会に奄美市医師会長として参加していた。センターの活動の1つに健康相談がある。月に2回開催しているが、医師会の医師が昼の時間に約1時間出向し、事業所を対象に健康相談をおこなっている。他に産業医としての個別事業場訪問での健康相談がある。事業所を訪問し、主に基本診断の結果を元に相談を受け、適宜改善策の提示を任としている。個人的には小規模事業場産業保健活動支援制度による事業場訪問を5カ所していたことがある。小規模の事業場を訪問し健康相談を含めた助言を行うことである。事業場にとっては良い制度であるが、私の知識のなさにより適切な助言ができず事業場に迷惑をかけたことが悔やまれる。

その後、年一回の衛生講話の講師として関わりがあった九州電力奄美営業所の産業医として平成20年6月に就任した。父の後任である。現在は月1回出向き、職場安全衛生委員会への参加、健康相談、基本検診の評価などを担当している。(奄美営業所の従業員は129名(営業所66人、発電所63人、平成20年4月1日現在)

「恐竜に注意」という言葉が職場安全衛生委員会で出てきたことがあった。子供との会話をすぐに思い出したが、理解できずにやり過ごした。その後、サトウキビを山積みにしたトラックの事だと教えられた。確かに電線を扱うものにとってはティラノサウルスの様な存在であろうと納得した次第である。そのように事業内容の知識にも乏しく、今後は発電所訪問を含めた産業医としての活動の充実を図りつつ、医師として多岐にわたる向上に努める必要性も感じている。

 

さんぽ鹿児島 第48号(2008年10月)掲載

 

 

私の産業医活動について

 

小田原 努
((社)鹿児島労働基準協会労働衛生センター 産業医)

  現在、鹿児島労働衛生センターにて産業保健部門を担当しています小田原と申します。産業医科大学を卒業後、茨城県日立市で(株)日立製作所の専属産業医を15年ほど担当していましたが、昨年6月に出生地である鹿児島に帰ってまいりました。鹿児島でもいくつかの事業所で産業医を担当しておりますが、鹿児島は故郷でありながら、いまさらながらに関東の方との県民性の違いなど感じているところです。

現在の産業保健の課題は、メンタルヘルスと過重労働対策が中心です。もちろん有機溶剤などの有害物質の管理に関する問題も多いのですが、事業所からの相談事で多いのは、何と言ってもうつ病などによる休業の繰り返しの対応や、長期休業を防ぎたいと予防の相談です。ストレス耐性の弱い20歳代の対応、職場不適応や早期離職の問題、仕事が集中し疲弊した30、40歳代、事業の再編や革新で仕事についていけない50歳代と問題はさまざまですが、事例性、つまり本人はさほど困っていないが職場で困るケースは意外と少ないのが相談の特徴です。しかし今後は職場でどう対応してよいか分からない、周囲が困ってしまっているという事例が多くなるのではないかと心配しています。

もうひとつ気になるのは、パワーハラスメントの問題です。鹿児島の方言は実にきつく、他県から来る方にとって普通の会話も喧嘩しているように聞こえるといいますが、オープンでストレートな物言いは、意思の疎通や自己開示に非常に有用であるものの、内向的な方にはパワハラと受け止められる危険性があります。さらに、業務が集中してイライラしている中間管理職の方の部下への指導や叱責が今後パワハラとして受け止められ問題化する可能性も高く、管理者教育などの必要性を感じているところです。

また今年から特定健診・特定保健指導が始まりました。当センターも準備を行っているところですが、健保により依頼内容が異なり、受け入れも大変な状況です。しかし、今後予防に力を入れていけないとならないことを考えると、この制度を追い風ととらえ、各企業に健康管理にも関心を持っていただけるきっかけにしたいと思っております。まずは、きちんと保健指導の評価項目を整理し、介入効果を医療費以外にも、疾病率や休業率あるいは労働損失などと結びつけて結果を出せば、今後健康管理を含む産業保健にも関心を向けていただけるのではないかと期待しております。

鹿児島に住むのは高校卒業以来であり、人的ネットワークも乏しいのですが、今後も産業保健は一生のテーマとして取り組んでいくつもりです。お仲間に入れていただけるべく産業保健関係の勉強会や会合に積極的に参加したいと考えております。今後ともよろしくお願いします。

 

さんぽ鹿児島 第47号(2008年7月)掲載

 

 

私の産業医活動について

 

出水郡医師会産業担当理事 両角 隆洋
(医療法人 来仙医院  副院長)

  「あなたの産業活動とは」と問われても,とり立てて披露する内容も持ち合わせていないのだが,ふと振り返ってみれば産業医として世間と関わり始めて約15年。思い出深い出来事も幾つかあるので然々なるままに記してみたい。

平成5年の夏の頃,医師免許を取得して3ヶ月余りが過ぎた頃,1人の先輩医師が「荒川区にある小さな町工場の社長が産業医を求めておられる。お前ひとつ引き受けてくれんか?」と仰った。産業医という言葉自体も馴染みの薄かった私が唖然としていると「いわゆる名ばかり産業医というやつでね,中小企業に対して労働基準監督署が産業医を専任するよう指導しているらしくてね。いや,アルバイトと思ってくれればいい。業務は楽だし医局にもばれない」云々。当時は産業医の資格制度も未だ曖昧な時代で,ものは試しとばかりにその先輩の勧めに応じてお受けすることにした。(半ば強制的でもあったが・・・)
ある土曜の午後,京成電車のとある駅を降り十分程度をとぼとぼと歩いた場所にその工場はあった。自転車部品を製造しているその会社には確か60人程度の従業員がいて,専務さんとお会いし契約を交わした。

一般的に嘱託産業医と呼ばれる立場であれば1ヶ月に1度その会社を訪問し,従業員の方々に何か健康上の問題がないか確認し,もし健康不安を感じている人がいれば,その相談を受けるというのがその頃の責務であったと記憶している。しかしながら専務さんは私に負担がかからぬように対応したい,つまり何か問題が生じた時は勿論相談したいが,3~4ヶ月に1度会社に来てくれれば,それで十分だと言われる。「周りの関連会社も大体そのような形で産業医とおつき合いしているので,心配しなくていいですよ」と。報酬は月額3万円也である。それでは気が引けるので月に1度はお伺いしたいと申し出るも「いやお忙しい身に無理はさせられません」と言い先ほどの条件でかまわないと押し切られてしまった。

3ヶ月に1度,会社訪問する日々が始まった。お邪魔してみるとお茶を頂戴し,30分程度専務さんと談笑し,お疲れ様でしたと相成る。
こんなもので良いのだろうかと件の先輩に尋ねてみると「僕も何社か受けているけど,訪問するのは年に1度か2度だよ」とさらりと仰る。そんなものかと納得していたら,例の専務さんより連絡があった。「実は近所の冷暖房機器のパーツを製造している会社が産業医を探しているのですが,そちらも引き受けて頂けないでしょうか」と,頼まれると助けてあげたいし悪い気もしなかったので承諾したところ,あれよあれよと2年程の間に契約が口コミで6社に増えた。
しかし,多忙かといえばそうでもない。何しろ訪問するのは合計しても年間で14~15回程度で難題もあの頃はなかった。
鹿児島に帰省するにあたり,後輩の先生達に委ねてきたが皆さん元気にお過ごしだろうか?時折思い起こされる。

さて,現在は4つの会社から産業医の委託を受けているのだが,その中で何故か御縁が切れない外資系の配送関連の会社からのエピソードをひとつ。  本社が東京にあるその会社は支社も全国に広がっているので従業員の数も半端ではない。当然,健康上のトラブルを抱えている方もごまんとおられる。生活習慣病やうつ病の方,時間外労働に喘ぐ方,係わった事例は枚挙に暇がないのだが,特に印象深く忘れがたいのは彼の件である。

当時29歳だった彼は強迫神経症で悩んでいた。事の起こりはこうである。
ある日,業務を終え帰路である首都高速を運転していたら,有り得ないことなのだが高速道路の中で人を跳ねてしまったと錯覚してしまう。家に帰ってからもその気持ちは払拭できず恐る恐るその場所に戻ってみるのだが事故の形跡はやはりない。父上が警察官であったこともあり問い合わせてみたが,その様な事故は確認できなかった。それ以来,自動車を運転するたびに事故を起こすのではないかと強烈な強迫観念に見舞われ運転がままならなくなってしまう。

問題は彼の職務が運転業であるという点である。運転できなければ収入が得られない。東京の本社で面談した彼は大変明るく一見神経症で苦しんでいるようには見えない。赤坂の有名なメンタルクリニックに通院しているが遅々として回復の兆しがないと打ち明けられた。
それから約1ヶ月後に様子を尋ねてみると,やはり状況は変わらず欠勤を余儀なくされているという。それならばひとつ鹿児島の閑かな環境で養生してみたらどうかと勧めたら是非にとの返事であった。なにせ私の診療所は畑と田圃に囲まれていている。
さっそく自然に囲まれた診療所の周りを看護師同伴で運転するといういわゆる行動療法を試してもらった。最初は不安気に周りを窺うように運転していた彼だったが,看護師の叱咤激励が功を奏したのか立派に能力が回復し30㎞位離れた温泉地まで1人で行ける程になった。
その後,田舎が性にあったのか世知辛い東京の生活を離れ母親の実家の岡山で暮らしてみたいと転居された。今でも時々手紙が届く。無事にやっておられるようだ。

このように産業医を始めたことで多くの人々との親交が築けたようだ。合縁奇縁も含め滋味深いものを感じている。そしてこれからも細々ながらこの活動を続けていきたいと思っている。

 

さんぽ鹿児島 第46号(2008年4月)掲載

 

 

私の産業医活動について

 

久保田 裕章
(産業保健メディカルクリニック 院長)

はじめに

2001年に産業保健を主体としたクリニックを鹿児島市谷山地区に開業して、約6年が経過しました。「さんぽ鹿児島」2005年第35号に私の産業医活動について紹介させて頂き、今回は2回目の報告となります。
開業前に鹿児島逓信病院健康管理科部長やS社専属産業医の経験が産業医活動を行なう上で大きな支えになっていることは、現在でも変わりありません。
経験を積み重ねて行くことが重要と考えますが、産業医を取り巻く社会的環境・社会的責任は、経験以上に変化が大きく徐々に厳しい方向に変わって行くように思います。個人情報の取扱,超過勤務者の対応,特定健診・特定保健指導と定期健康診断など対応に追われる最近です。

その後の産業保健教育活動

教育活動について、前回、臨床医学も含め年間80時間~100時間の講演や講義を行なっていますと書きましたが、現在では労働衛生教育に費やす時間が若干増えてきたように思います。以前は、企業や団体より求められて始めて講義を行なうという受動的な立場で労働衛生教育を行なって参りました。
しかしながら、最近、H企業では、職場巡視及び労働衛生委員会の後で衛生委員以外の社員の方々も含めて、労働衛生教育の時間を持つようにしています。最初は、社員の方々に興味を持って頂けるかなと不安要素もありましたが、毎月、回を重ねる毎に社員の方々の数も多くなり、社員の方々からの質疑内容など考慮しますと講義内容にも非常に興味を持たれていることがわかりました。
さらに質疑応答に時間を充分とれるように配慮いたしましたところ、毎月の委員会後の労働衛生教育に熱が入り参加される社員の方々の数も増えました。
やはり、産業医が積極的に労働衛生教育に介入した方が、社員の方々の健康上の不安を取り除き明るい職場を作ることに貢献できるように思います。

なぜなの?との疑問が活性化を生む

学校では、「なぜなの」と問いかける興味旺盛な児童・学生に的確に分かり易く説明ができることが重要とされています。その場合、児童・学生の目線に沿った対応が必要とされます。産業保健でも、企業の社員の方々が産業保健スタッフを頼りに産業保健スタッフにどんどん歩み寄ってくるそのような雰囲気をつくる事が大切と考えます。そこには壁はなく気軽に心を開いて相談ができる医師・保健師・看護師等産業保健に携わる産業保健スタッフとしての努力も必要になってくると思います。
社員の方から「何故なの」と問いかけられたら、その企業の持つ特徴を把握して、そこで過ごされる社員の方の目線に沿って、分かり易く的確に返答できることが必要と思います。

特定健診は保険者を刺激した!

当クリニックでは、時期早々と思われますが2007年10月より既に各種健康保険組合(保険者)からの依頼により腹囲を含めた2008年4月に開始される特定健診に準じた健診を実施しています。健診システム(コンピュータソフト)は当クリニック及び関連会社で開発作成可能なために、急遽、各組合の個別の項目に対応した健診システムを構築しています。
従いまして、現在のファイルサーバーには、各保険者独自の項目を持つそれぞれの独立した健診システムが入っています。各保険者が独自の項目を必要としているため、汎用的な健診システムでの対応は困難な状況です。結局、保険者に求められた内容の健診システムをそれぞれ独自に構築して対応する以外、現在の状況では仕方ないように思います。各保険者に対応してシステムがサーバーに置かれているため、サーバーの整理整頓が常に必要となってきます。健診結果は、定健記録用紙と電磁的記録(FD・CD-R)での提出を既に始めています。

女性にやさしい医療機関

当クリニックでは、毎週土曜日に女性医師(産業医)による診療を行なっています。事情が複雑な母子家庭の社員の方も、子育てに不安なく働けるような心の支援体制が必要とされます。夫婦間では、精神衛生上の男女差(脳の男女差)の理解も重要で、家庭内トラブルが業務上ミスに繋がらないように神経内科的心療内科的な家庭内トラブル防止対策にも力を入れています。働く女性の労働衛生上の支援は、企業にとっても大きなプラス要因となります。

おわりに

産業保健は、度重なる制度変更に伴い、きめ細かい対応が必要になってきています。今後は、特定健診・特定保健指導も含めて益々産業保健スタッフの負担が増えるように思います。各種制度改革に先見の目を持ち、早め早めの対応を行なうことが重要と考えます。
開業して6年が経過しましたが、その間、クリニックでは大きな問題も発生せず平穏無事に労働衛生に携わることが出来ました。
ひとえに鹿児島産業保健推進センター・鹿児島地域産業保健センター・関連機関の皆様方の御支援御指導の賜物と感謝致しております。この場をお借り致しまして心より厚く御礼申し上げます。今後とも、第一線で力強く働く私ども医療機関・産業保健スタッフを御支援御指導の程よろしく御願い致します。

 

さんぽ鹿児島 第45号(2008年1月)掲載