令和6年バックナンバー
フレイル予防はいつから何を始めるか
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
網谷 東方
(鹿児島大学医歯学総合研究科 心身内科学 講師)
(担当分野:メンタルヘルス)
2024年の国連報告によると、世界の65歳以上の高齢者数は、2020年の7億2700万人から2050年には2倍以上の15億人を超えると予測されています。現在、健康上の制約なしに日常生活を維持できる期間、いわゆる“健康寿命”をいかに伸ばすかが世界中で議論されています。この健康寿命を延ばす上で、大きな障壁となっているのがフレイルであるといわれています。フレイルは、「虚弱」を意味する英語「Frailty:フレイルティ」を元にした造語ですが、「加齢に伴う様々な機能変化や予備能力低下によって、健康障害に対する脆弱性が増加した状態」と理解されており、予防医療の立場からもその見極めは重要です。フレイルは高齢者の死亡率、転倒、疾患の悪化、入院、施設入所などのリスク増加に関連しています。
フレイルに関して、これまで65歳以上の高齢者を対象とした研究報告がほとんどでしたが、最近、成人若年から中年期を含む研究報告がなされるようになりました。37~73歳の英国人を対象としたHanlonらの報告によると、対象者全体の493,737人のうち、3%がフレイル、38%がフレイル予備群であり、驚くべきことに、その割合は、男女それぞれの37-45歳、45-55歳、55-65歳、65-73歳のどの年齢層でも同様に認めたという結果でした。さらには、中年期においても、フレイルと死亡率は正の相関を認めました。そのため、Hanlonらは老年期よりかなり前のフレイル予防対策を提唱しています1)。また、18~65歳を対象とした12の研究論文を統合させたLoeckerらのレビューでは、フレイルの有病率は3.9~63%であり、高齢者を対象としたこれまでの報告と同様であったという結果から、若年成人のフレイルスクリーニングの重要性を述べています2)。さらに、フレイル予防に焦点を当てた最新のシステマティックレビュー及びメタアナライシスは、フレイルの発症リスクを有意に減少させるのは運動であると結論づけています3)。
フレイル予防対策としては、40代から運動を意識的に取り入れていくというのがよさそうです。つまり、働き盛りのうちから運動を開始するということになります。運動に関しては、歩行などの有酸素運動に加え、レジスタンス運動を週2~3回の頻度で行うのが理想的ですが、「職場ではなるべく階段を使う」など、無理なく3ヵ月以上継続できることを行うことが大切です。
参考文献
1) Lancet Public Health. 2018; 3: e323-e332.
2) J Frailty Aging. 2021; 10: 327-333.
3) Eur Geriatr Med. 2024. doi: 10.1007/s41999-024-01013-x.
「産業保健の話題(第278回)」
診察室で思うこと
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
大迫 政智
(メンタルヘルスかごしま中央クリニック)
(担当分野:メンタルヘルス)
「先生眠れませんがよ」の妙に多いこの春でした。するとどうしても原因を考えたいということになります。だいたいは患者さんの言葉がヒントになります。
「春にしては雨が多いですよね」
「昼と夜と気温差が大きくて」
結論。
春が春らしさを失っていた。
梅雨もいつになく短く終わり、卓袱台返しで猛暑日が始まりました。
「春眠暁を覚えず」は、「卓袱台」同様いつの日か死語となるのでしょうか。
「春眠暁を覚えず」は孟浩然(689-740)の「春暁」に基づきます。原文は、
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
有名すぎるのが難点ですが、唐の時代の春に思いを寄せると、切なくもありながら、こころ落ち着きます。
さて、睡眠を左右する要因をまとめると、心身のストレス、加齢、温度、湿度、日照時間、睡眠時無呼吸、飲酒、喫煙、カフェイン、生活リズム(規則正しい食事、適度の運動)等に加えて、潮の満ち引き(月の満ち欠け)を加える人もいます。
実に多彩です。
従って、睡眠障害の解決方法はオーダーメイドです。
決して睡眠薬投与で簡単に解決するというものではありません。
「睡眠障害」という、どの職場でもありふれた症状に隠れたその背景に、その患者さんの様々な状況が存在することを、改めて思うことです。
「産業保健の話題(第277回)」
働く精神障害者への合理的配慮
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
春日井 基文
(担当分野:メンタルヘルス)
令和6年4月から障害者の法定雇用率が段階的に引き上げられたことにより、障害者の雇用はますます増加していきます。法定雇用率の対象は手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳)を有している障害者です。また、障害者雇用促進法では、障害者を「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)、その他の心身の機能の障害があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者」と定義しています。とくに、精神障害(発達障害を含む)は疾患や症状、職場での問題が様々であること、目に見えない症状や特性であること、コミュニケーションが上手く図れない場合が多いことなどから、職場において身体障害や知的障害と比べて合理的配慮の提供に悩むことが多く、産業保健スタッフに対応が求められる機会が増えることが予想されます。
合理的配慮とは、障害者の権利に関する条約において「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう」と定義されています。職場における合理的配慮とは個々の障害者が働くうえで支障となっている事情を取り除く措置を講じ、それが健常者とのバランスを崩さず、そして過度な負担とならないものになります。
精神障害には、統合失調症や気分障害、発達障害など様々な疾患がありますが、コミュニケーションや体調管理に対する配慮は多くの場合必要となります。コミュニケーションに対する配慮としては、担当者を決め、業務の優先順位や目標を明確にし、指示を一つずつ出す、作業手順をわかりやすく示したマニュアルを作成することなどが有効です。体調管理に対する配慮としては、個々の障害特性や状態に応じて出退勤時刻・休息・休暇・通院・服薬などに配慮したり、できるだけ静かな場所で休憩できるようにしたり、本人の状況を見ながら業務量を調整したりするなどの対応があります。また、本人のプライバシーに配慮した上で、他の労働者に対し、障害の内容や必要な配慮などを説明し、理解と協力を求めることが望ましいと考えます。
上記は合理的配慮の一例であり、個別性のある合理的配慮を提供するにあたっては、それが本質的に職務を進めるうえで必要不可欠であるのか、その配慮によって本来の能力が発揮できるのかについて本人と職場で話し合いを十分に行うことになります。精神障害の場合、症状や障害特性が目に見えないことや本人のニーズが上手く伝わらない場合があるため、主治医からの医学的意見や障害に関する情報提供を基に産業保健スタッフが職場の事情を考慮した就業上の具体的な対応を提案し、合理的配慮が双方にとって納得できるものとなるような橋渡し的な役割を担うことが望まれます。
令和6年8月 第878号 掲載「産業保健の話題(第276回)」
令和4年度「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」について
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
前田 雅人
(担当分野:産業医学)
我々の生活に多大な影響をおよぼした令和元年発生の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は令和5年5月18日には感染症法上の位置づけが2類相当から5類に移行し、その後制限されていた活動が緩和され、今はコロナ感染禍以前に戻ったように感じます。結局、感染の流行は第10波までみられ、令和5年5月までに日本では約3,400万人が感染し、うち死者数は約7万5,000人でした。5類に移行し1年経過しましたが、今も感染者が発生しているので、皆様、油断しないようにしてください。ちなみに業務に起因して新型コロナウイルスに感染したことが認められる場合、また新型コロナウイルス感染症による症状が持続し、療養や休業が必要と認められる場合は労災保険給付の対象となるようです。これまでの新型コロナウイルス感染症に関する医療従事者等からの労災請求件数累計は令和6年4月30日時点で182,614件あり、支給件数は168,862件であったとのことです。
さて厚生労働省は令和5年6月30日に令和4年度「過労死等の労災補償状況」を発表しました。うつ病や仕事上のストレスなどが原因となっておこる精神障害の労災請求件数は2,683件と前年度から337件の増、支給決定件数は710件で、前年度から81件の増であり、コロナ感染禍にあっても年々増えてくる傾向は変わらなかったようです。内訳をみると、請求件数は業種別(大分類)では「医療、福祉」、「製造業」、「卸売業、小売業」に多く、これらの業種が全体の52%を占めています。支給決定件数では「医療、福祉」>「製造業」>「卸売業、小売業」の順でした。中分類では、請求件数、支給決定件数ともに「医療、福祉」の「社会保険・社会福祉・介護事業」が最多で、この業種に就いている方々の精神的負担の大きさがうかがわれ、早急な対策が求められます。年齢別では「40〜49歳」が最も多く、注意すべき年代と言えます。1か月の時間外労働時間では「20時間未満」が最も多く、精神障害の背景には、「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」、「悲惨な事故や災害の体験、目撃をした」などがあったようです。
一方、脳・心臓疾患の労災補償状況をみると、精神障害の労災認定の3分の1以下ですが、請求件数は803件と前年度より50件の増、支給決定件数も194件と前年度より22件の増でした。内訳をみると、業種別(大分類)の請求件数では「運輸業、郵便業」、「卸売業、小売業」、「サービス業(他に分類されないもの)」に多く、これらの業種で約50%を占めています。支給決定件数は「運輸業、郵便業」>「建設業」>「卸売業、小売業」の順でした。中分類では、請求件数、支給決定件数ともに「運輸業、郵便業」の「道路貨物運送業」が最多でした。精神障害にみられた労災認定上位の業種とは異なります。また年齢別では、請求件数、支給決定件数ともに「50〜59歳」が最も多く、精神障害の労災認定より明らかに上の年齢であり、血管病変の進行や生活習慣病との関わりなどをうかがわせます。時間外労働時間別では、「評価期間1か月」において「100時間以上〜120時間未満」が、「評価期間2〜6か月における1か月平均」では「60時間以上〜80時間未満」が最も多く、この点も精神障害の労災認定とは異なるものでした。労働者の健康の保持・増進のため、以上のデータをご参考にしていただければ幸いです。
令和6年7月 第877号 掲載「産業保健の話題(第275回)」
働く人の熱中症対策、私が声を大にして言いたいこと
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
冨宿 明子
(担当分野:産業医学)
(ヘルスサポートセンター鹿児島)
⑴れいわちゃん、5月の北海道で気温39.5℃という記録を叩き出す!
熱中症の話はまだ早いんじゃないの?とお思いのあなた。令和になったばかりの2019年5月の気温を覚えていらっしゃいますか?北海道で39.5℃という記録的に高い気温となり、熱中症患者の救急搬送が相次いだのです。戦艦でも赤血球でも競走馬でも、何でも擬人化してしまう日本人は、元号まで幼女として擬人化して、「れいわちゃんはまだ小さいから、気温の管理が下手なんだよ」とネット上でキャッキャ言っていたものです。急な猛暑日は危険ですよ、れいわちゃん!もう6歳なんだからね!
⑵冷えピタシートでは体温は下がりませんよ!
熱中症で救急車を呼んで待っている間、職場の救急箱の冷えピタシートをおでこに貼って体温を下げることを試みていた、ということが実際にありました。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ」ではないですが、ただ「体を冷やしてね」と言うだけでは伝わらないものですね。後述のガイドラインでは、水を入れたバケツに両下腿を入れたり、寝転ばせて水道水をホースで全身にかけたりすることを勧めています。
⑶救急車を呼ぶタイミングは、これ!
衛生管理者から「救急車を呼ぶタイミング、クリアカットな基準はないですか?」と言われて考えたのが、こちら。「経口補水液のペットボトルを自力で開けて上手に飲む、という一連の動作ができなければ救急車を呼ぶ」。この文言を経口補水液が入っている冷蔵庫の扉に貼っています。評判は悪くないです。
⑷ひとりで休ませていたら、心肺停止に!
救急車を呼ぶほどではないと判断して、冷房が効いた休憩室にひとりで休ませて、しばらくして様子を見に来たら、心肺停止…。実際に体験した話です。この他にも、自力で自家用車を運転して自宅に着いて玄関のドアを開けた瞬間に意識消失して家族が救急車を呼んだ、ということもありました。救急車を呼ぶほどではないと判断した後は、職場まで家族にお迎えをお願いするのが良いと思います。
⑸昨シーズンに厚労省によって作られたガイドライン、最高!
「働く人の今すぐ使える熱中症ガイド」と検索してみて下さい。様々な仕事内容にぴったりの対策が書かれてあり、こんな切り口のガイドラインはいまだかつて見たことがありません。「先生、熱中症について衛生講話して下さい」などと頼まれたときは、このガイドライン丸パクリでOKです。厚労省によって作られたものですから、著作権で怒られることはありません。講話の動画もいくつかありますので、それらを流しながら(イカしたBGMあり)書かれている文章を読み上げるだけで、一切準備することなくイカした衛生講話を行うこともできます。
令和6年6月 第876号 掲載「産業保健の話題(第274回)」
うつ病者の復職(リワーク)支援
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
赤崎 安昭
(担当分野:メンタルヘルス)
(鹿児島大学医学部保健学科長)
(鹿児島大学大学院保健学研究科長)
労働政策研究・研修機構の調査によると、うつ病などのメンタルヘルスの不調を感じている人の13.3%が休職しており、世界保健機関(WHO)は、2030年に、うつ病は虚血性心疾患や交通事故、脳血管疾患を上回り、「健康な生活を障害する疾患」の第1位になると予測しています。さらに、日本の場合、社会経済面では、うつ病による経済的損失が2兆円とも3兆円とも言われており、メンタルヘルス問題は医療だけではなく社会的問題となっています。
厚生労働省は、事業所向けに「心の健康問題により休業した労働者の復職支援の手引き」を作成しました。しかし、「復職支援」は、事業所のみでは対応が困難ですので、最近は、メンタルヘルス問題を扱う医療機関においては、急性期の治療のみならず、うつ病者の復職(リワーク:return to work)支援プログラムを構築し、医師のみならず多職種が連携して介入するようになりました。詳細に関しては下記「参考文献」を参照してください。
リワーク支援プログラムの概要を紹介します。まず、プログラムには、「(1)復職準備性を高める、(2)復職する」という前提があり、「第1段階:個人で決めた(準備した)課題をする場に慣れる、第2段階:与えられた課題を遂行する自分について振り返る、第3段階:実際の実務に近い仮想業務を行い今後について考える」といった段階を経て進めていきます。さらに、プログラムの中には、認知行動療法、ミーティング、リラクゼーションなど、復職に関連したスキルを習得する内容も盛り込まれています。筆者が主治医として関わっている患者の反応は極めて良く、「復職しても無理せずに仕事をこなせるようになった」、「自分1人で仕事を抱え込まなくなった」といったような感想が聞かれます。
近年、「高い専門性」を求める事業所が増えていますので、10年前と比較しますと、復職する際のハードルが高くなってきています。ですから、医師(主治医)が事業所と連携を図らずに「復職可能」と診断すると、労働者は職場のニーズに応えられずに「再休職」という事態に陥る可能性があります。このような事態を防ぐためには、事業所と医療機関が連携を図るとともに、労働者および職場の特性を踏まえたテーラーメイドかつアクティブなリワーク支援が必要です。
筆者は精神科リハビリテーション、産業保健に加えて、司法精神医学にも関わっており、特に司法関係では犯罪精神病理学を掘り下げていくことをライフワークとしています。このため、自殺に至ったうつ病者や犯罪に至ったうつ病者に関わる機会が多いのですが、そのようなケースを検証しますと、専門医による適切な治療を受けていないことが多いように思われます。
会員の皆様、メンタルヘルス問題を抱えた労働者の相談を受け、対応に苦慮している場合には専門家にご相談ください。もし、医療機関への受診を拒んでいる労働者に遭遇したら、鹿児島産業保健総合センターにご相談ください。同センターは、完全予約制とはなっていますが、当事者のみならず、その関係者の方々の相談も受けています。
【参考文献】
赤崎安昭、井手ノ上範樹、濱本美帆ほか、心の健康問題で休職した労働者へのリワーク支援について−当院におけるデイケアプログラムの紹介も含めて、精神科21(4)、p480−489、2012年
「産業保健の話題(第273回)」
「平均寿命や健康寿命に加えて、労働寿命を考える」
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
堀内 正久
(担当分野:産業医学)
(鹿児島大学衛生学・健康増進医学)
国や地域の健康度を評価する指標として、「平均寿命」や「健康寿命」が知られている。「平均寿命」は、誕生から死亡までの存命期間に基づく指標ということで、客観的な数字である。「健康寿命」も最近利用される指標であるが、算出方法はやや多様(サリバン法など)であり、介護の必要の有無や健康意識についてのアンケートなどが利用され、一部、主観的な要素が含まれている場合もある。しかし、「平均寿命」とは異なる集団の健康度を測る指標として、健康で過ごす時間を想定した指標であり、大事な概念を含んでいるかと思う。このコラムで紹介する「労働寿命」は、さらに、健康というだけでなく、「労働が可能」という要素を加えた集団の新しい健康指標ということで産業保健の領域で注目されている。
William Petty氏は、次の言葉を残している。「健康は労働から生まれ、満足は健康から生まれる」。西欧の社会において、この考え方は特別なもので、労働=使役とされていた概念に対抗する形で、労働の意義を有益にとらえたものとして知られている。労働=使役とする労働の従来の考え方があり、最近、フランスでは、年金支給を1年遅らせる法案の提出に伴って、政府に対する大きなデモが行われたことが報道された。一方、日本では、生涯現役をスローガンに、死ぬまで労働し続けなさいという政府方針に対して、むしろ社会では好意的に容認されているかと思う。産業保健の立場では、社会において、「労働寿命」が長くなる社会を目指すということにはなるかと思う。ただ、その労働の中身が、生活のために働くというだけではなく、労働をする本人にとっても健康につながるような有意義なものである必要がある。「健康寿命」同様、主観的な要素も加えた上で、適切な指標作りが求められる。
この4月から医師の働き方改革が始まった。この改革の中で、職場での在室時間を「労働時間」か「自己研鑽時間」か区別する必要が求められている。自分の若い時を考えると、ほとんど家に帰らず病院や大学の研究室で過ごしていた。人から指示されることが「労働」の定義の1つの要素とすれば、自主的に学んでいたということであって、「自己研鑽時間」であったのではと思う。妻からは、「そういう働き方をしてきたあなたに、働き方改革ができるのかしら」と半ばあきれられている。健康のために休息の確保や労働時間の制限を図るとともに、本当に自主的に働きたいと願う若者の働く時間を確保できる制度となる必要もあると考えている。一方、50代を過ぎて、管理的な業務が増えてくると、研究室に居る時間であっても、「労働」と感じる時間も増えているように思う。
主観的な要素の含まれる「健康寿命」や「労働寿命」の定義や算出方法の議論は、集団の健康とは何かを議論することになるように思う。「労働寿命」であれば、Petty氏の言葉を用いると、「労働を通して、健康が生まれる」という理想に基づいて、健全な社会を目指すということになるのかと思う。
令和6年4月 第874号 掲載「産業保健の話題(第272回)」
コロナ禍という禍
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
山喜 高秀
(担当分野:カウンセリング)
昨年(令和5年)5月8日に、新型コロナウイルス感染症の位置づけが「5類」へと変更になりました。ここであらためて、「コロナ禍という禍は人々に何をもたらしたのか?」ということについて、筆者が携わっている「子どもと家庭の支援」の世界から考えてみようと思います。
まず、井上登生(2020)による「コロナ禍と子ども虐待.日本子ども虐待防止学会ウェビナー報告資料」から、コロナ禍によって世界中で起きたことのいくつかを挙げてみます。
①仕事や収入を失うことによる貧困と食糧難の増加
②オンラインによる人や教育場面へのアクセスのできなさ
③子どものスマホ等のデジタル活動の増加と養育者による監視の減少によるデジタル・リスクの拡大
④子どもや養育者にとって重要な仲間の喪失や人間関係の崩壊
⑤子どもや養育者のための地域や社会支援サービスの崩壊
⑥子どもや養育者の日々のルーチン活動の停止
⑦青年や養育者による飲酒や薬物使用の増加と場当たり的な養育
その結果として、次のような逆境体験に晒された子どもたちが増加しました。
①大人からの日常的な罵倒、侮辱、悪口、屈辱、暴力
②大人か、5歳以上の年長のものからの不適切な性的接触、性的虐待
③家族が互いに関心がない、子どもを日常的に守ってくれる人がいない、食事がないなど世話を受けていない
④母親が、日常的にDVを受けている
⑤酒癖が悪い、アルコール依存、薬物乱用の人との同居
⑥家族に、うつ病、精神疾患を患っている、自殺未遂をした人がいる
⑦離婚、別居など親との分離体験
以上の未曾有の禍が人々にもたらしたものは、①パンデミックという禍は、人と人との間のつながりが裂かれやすくなることを余儀なくし②そのことによる心身への重篤なダメージは、子どもや女性など弱い方から先に晒されやすく③そこに至らないための、あるいはそこからの回復のために、これまでにない共生と協働のための支援の仕組みを社会全体で一刻も早く作り上げることを課したことであると思います。
令和6年3月 第873号 掲載「産業保健の話題(第271回)」
化学物質の自律的管理が始まります
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
小田原 努
(担当分野:産業医学)
令和6年4月から、化学物質の自律的な管理に関する法律が完全に施行されます。令和4年より部分的に施行されてきましたが、いよいよ全ての項目が施行となります。自律的管理とは、耳慣れない言葉で、戸惑われる方も多いかと思いますが、今までは、有害性のある化学物質の一部は特別則で規制の対象となり、作業環境や作業管理、健康管理を逐一法律で定めた方法で、行うことを事業者は求められていました。ただし、皆様ご存じの胆管癌のように、化学物質による健康障害は、法規制されていない化学物質から約8割も起こる状態であり、被害が起こってから、後追いで、法規制していくことも限界となってきました。そこで、今後は、健康被害をおこさないように、事業所が化学物質を自律的に管理することになりました。対象は2,900種類ほどもあります。身近なところでは、病院では、ホルムアルデヒド(病理検査室で使用)やエチレンオキシドガス(衛生器具の滅菌消毒に使用)、グルタルアルデヒド(衛生器具の殺菌消毒に使用)などがあります。ホルムアルデヒドやエチレンオキシドガスは特定化学物質として指定されているため、従来の方法で、管理していくことが求められますが、グルタルアルデヒドのように、有機溶剤予防規則や特定化学物質等障害予防規則の特別則で管理されていない化学物質は自律的に管理していくことになります。では自律的に管理していくとは、具体的に何をすればよいのでしょう。
まずは化学物質を取り扱う事業所では、化学物質管理者や保護具管理責任者などを選任しましょう。指定の内容の講義を受ける必要があります。次に、化学物質を購入したら、ラベルを確認しましょう。ラベルに有害性の記載がある場合は、SDSを取り寄せてください。現在はインターネットで簡単に入手できます。
次に行うことは、リスクアセスメントです。化学物質の有害性とばく露の程度から、リスクを判定するのですが、CREATE-SIMPLEというツールが利用しやすいです。このツールは、厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」から無償で入手できます。このツールを使って、リスクを判定し、リスクが高い場合は、ばく露濃度を測定したり、健康診断を行うこととなります。健康診断を行ったり、作業環境測定を行ったりしないように、リスクをコントロールしていくことが重要で、本来の自律的管理の意図はそこにあります。もし事業所の産業医を担当されている方は、一度ぜひCREATE-SIMPLEを試してみてください。リスクを低減するためにどういうことを行えば良いのか等もテストできます。詳しいマニュアルも一緒にダウンロードできますので、一度行ってみることをお勧めいたします。
令和6年2月 第872号 掲載「産業保健の話題(第270回)」
将来を展望する革新の地域保健医療介護の実践を!
鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
德永 龍子
(鹿児島純心大学 名誉教授)
(担当分野:保健指導)
人口11万人の会津若松市は、地域医療の質と利便性を高める先進的なスマートシティ事業を推進する。
2023年3月に医師と患者が日々の血圧や服薬等の健康データを同意して連携するID保有者は、想定市民の4人に1人の2万5千人、市は2030年までに倍増を目指す。高い市民参加率で企業を呼びこむ為に、データの種類や利用目的、利用先を明示して同意をする「オプトイン」方式としている。
注力領域は、高齢化や医師不足が深刻な地方での革新の医療モデルだ。同市の高齢化率は2020年31.5%で疾病悪化防止サービスが医療・介護の負担を抑える要となる考え方だ。今後は、オンラインの自動決済による処方箋、問診などで病院滞在を15分前後に縮める計画も進める。
人口6,037人の群馬県草津町は、2001年から東京都健康長寿医療センター研究所と共同研究契約を結び介護予防で成果を上げている。研究目的は、地域における健診や健康教育では健康長寿の柱である栄養、体力、社会参加の介護予防に取り組み、それを通じて高齢者の健康余命の延伸、介護保険・医療保険の安定運営さらに「介護予防草津モデル」を全国発信するとした。その結果、2023年9月高齢化率40.0%と高い町が、介護保険料が全国一安い3,300円となり目的達成したのである。
研究法は、2001年から2019年まで65歳以上(2005年まで70歳以上)の高齢者健診受診者と2〜3年に1度の未受診者悉皆調査との比較研究である。加えて2009年から2019年には70歳以上916人が、「フレイル」心身の虚弱予防戦術に取り組んだ。調査の結果、フレイルは男性80歳、女性75歳から増加が明確となる。効果的予防法は、65〜74歳では、食事、運動、社会参加への生活改善、口腔ケアが効率的で、75歳以降は、低栄養、活力低下予防、うつや閉じこもり対策のための運動を中心とした通いの場づくりをした。住民参加の地域保健、医療、介護の一体改革「介護予防草津モデル」の完成である。
全国では少子高齢化、多死で急激な人口減少が加速し2050年に居住地域が2割減と想定される。急速な人口減少の変化は、労働市場、行政機能の維持や国土の管理もままならず、革新の「国土計画での地域生活圏」の確立が課題となる。住民基本台帳に基づく総人口は、2022年は1年間に51万人減少した。日本人は80万人減り、外国人が29万人増で多文化共生が重みを増している。
公共サービス維持のためには、10万人を目安に形成する「地域生活圏」の担う広域連携が重要になる。そのためには住民の十分な理解を得ての自治体再編、コンパクトシティー、浸水地域の居住制限、災害や食料安全保障、水道やローカル鉄道などインフラ網、医療介護の再構築などの政策を踏まえて、人口減少下ではある程度まとまって住む「集住」を国民が共有し、浸透して初めて各分野の政策が前に進む。
政府がこども未来戦略会議の議論を再開した。負担の在り方で再分配の効果は変わる。新たな少子化対策が、経済と環境の範囲の中で、若い世代が将来に展望を持ち夫婦で共働き子どもを共に育て、安心して生活できる具体策を望む。国づくりを担うのは国民である。国民みんなで働き納税し、誰もが不自由なく暮らせる社会のためには、制度の無駄を省き一体改革が福祉国家日本の未来を創る。
日本の男性育休、給付やサービス増等の制度は、ユニセフが「先進国における家族にやさしい政策ランキング」で世界一とする。活用する男女、障害、貧困、高齢の人々が「多様性と寛容」の技術と改革で安心、安全となる労働、税、社会保障制度、少子化対策にできる事が条件である。「男性は仕事、女性は家庭」の慣行や仕組みの根本課題に踏み込む覚悟と意識改革の信念が、政府にも国民にも必要だ。
令和6年1月 第871号 掲載「産業保健の話題(第269回)」