お知らせ

24年 バックナンバー

精神障害の新たな労災認定基準について

基幹相談員 楠本 朗
(担当分野:メンタルヘルス)

  精神障害の労災認定基準が新たに定められました。それに伴い,平成24年第108回日本精神神経学会において,「労災認定の動向と今後の課題」というシンポジウムが開催され,山口浩一郎は法律家から見た視点と題し,認定基準がなぜ必要なのか講演されていたので,その内容を紹介したいと思います。 労災保険制度は,労働者の業務上の事由または通勤による労働者の傷病等に対して必要な保険給付を行い,あわせて被災労働者の社会復帰の促進等の事業を行う制度です。これまで労災は業務起因性が明確な疾病を扱ってきました。しかし最近労災で扱う疾患は,職業特有な疾病だけではなくなってきました。  

  労災認定を受けるためには,労働者が罹患した疾病は,業務上の事由と認定されなければいけません。認定するのは労働基準監督署です。業務起因性が明確であれば問題はありませんが,不明確な場合,労働基準監督署によって認定方法が異なると,公平性が保てなくなります。山口によると,公平性を保つために誰が認定しても同じ結果が出るように評価尺度を決めようというのが,今回の労災認定基準を策定することになった主旨とのことです。  
  労働者がうつ病になったとします。同じ職場,同じ環境で,みなが同じようにうつ病になるなら,職業関連性疾患といえますが,現実にはそうではありません。業務による心理的負荷に加えて,労働者の個体側要因,私生活での悩みなど業務以外の心理的負荷がからみあってうつ病になるわけです。労災認定されるのは,その発病が仕事による強いストレスによるものと判断できる場合に限ります。その判断基準が,今回の認定基準となるわけです。認定基準は大きく分けて,「特別な出来事」と「特別な出来事以外」に分けられますが「特別な出来事」を見てみますと,

心理的負荷が極度のもの:
  • 生死にかかわる、極度の苦痛を伴う、又は永久労働不能となる後遺障害を残す業務上の病気やケガをした(業務上の傷病により6か月を超えて療養中に症状が急変し極度の苦痛を伴った場合を含む)
  • 業務に関連し、他人を死亡させ、又は生死にかかわる重大なケガを負わせた(故意によるものを除く)
  • 強姦や、本人の意思を抑圧して行われたわいせつ行為などのセクシュアルハラスメントを受けた
  • その他、上記に準ずる程度の心理的負荷が極度と認められるもの
極度の長時間労働:
  • 発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような、又はこれに満たない期間にこれと同程度の(例えば3週間におおむね120時間以上の)時間外労働を行った(休憩時間は少ないが手待時間が多い場合等、労働密度が特に低い場合を除く)

となっています。産業メンタルヘルスを考える際,「特別な出来事以外」にも一度目を通しておいた方がよいと考えます。
  くわしくは『精神障害の労災認定』 http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120215-01.pdfをご覧いただけたらと思います。


平成24年12月 第738号 掲載
「産業保健の話題(第136回)」

子どもたちの今

特別相談員 山喜 高秀
(担当分野:カウンセリング)

  「産業保健の話題」というコーナーではあるが、今回は先の社会・時代をつくる子どもたちが背負っている今の世の中について述べてみたい。  
  「いったい子どもたちの〝こころ〟はどうなってしまったのか?」。子どもが育ちにくい、子どもを育てにくい時代になって久しい。これまで、ことさら問うこともなく、当たり前のように感じ、認め、解かっていたつもりの子どもたちの〝こころ〟が分からなくなってきている。「いじめという度を超えてしまった犯罪」「つながることが怖れとなっていく引きこもり」「引き留めてくれる人が心の内に宿らなくなったキレる我が身」「親という役を担えなくなった果ての虐待」「親・子・人・自分殺し」など等、筆舌しがたい異常な出来事が日常化している現象を前にして、大人たちは、言いようのない不安の中で立ちすくんでいる。この現象をどう捉えればよいのか。

  筆者は、心をよく器に例える。当たり前であるが、人はそもそも生き物であり、その成り立ちは人と人との関わり合いからである。その人の心と呼ばれる器も、周りの人との関係性の中で土台から少しずつ積み上げられていく。さしずめ成人式というのは、20年をかけて器という人格が成り立ったお祝いの式(戦後からはじまった通過儀礼)といえよう。しかし、いつの頃からか「やっと一人前の器になったね」と祝われるはずのこの成人(格)式の様子が変わり始めた。特に、21世紀に入ると、目を覆いたくなる光景が毎年の恒例となっていった。最前列で酒盛りしながら、祝辞を述べる市長に向かってクラッカーを鳴らす。若者同士も喧嘩。最後は、警察に逮捕(補導?)され、告訴した市長に親が謝罪文を持参。世の中は、いっせいに「許せない行為、世も末か・・」という声で溢れかえった。この光景は、実年齢に心の器が相応せず、また身体と心の発達に大きなズレが深まってしまったことの現れと捉えられよう。大人とか親という役を担えなくなり生きづらくなってしまった子どもや若者が年々増え、彼らの子どもも同じ轍を踏むというスパイラルが止まない時代が始まった。

  子どもや若者がその時代のあり様を映す鏡だとすれば、先に挙げたような現象が映し出しているものは、子どもや若者の問題ではなく彼らの心の器とつくってきたその時々の社会や時代との関係性の質の問題と言える。我が子が「困らぬように」とその将来を子どもに『先取り』して心配する。子ども同士の人間関係に入り込みすぎて『肩代わり』して悩む親たち。塾や習い事、あるいは様々なイベントなど、常に何かを与え『ふりかけ』ないと子育てや教育ができないという思い込みであふれた世の中になった。その結果、子どもたちは、自分ことで動けず、悩み方も分からず、八つ当たりしかできなくなり、「困りながらも人との間でやりくり」できる自分を確かめられなくなった。同時に、「自分で選ぶ・試す・失敗も含めて味わう・折り合いながら決める(責任を取る)」といったことが難しくなり、『困ることができない子どもたち』が、周囲を困らせる形でしか助けを求められない『困った大人』となる形となり、さらにモラトリアムやフリーターにはじまる産業保健の問題にも大きく影を落すほどのものとなっていく。
  以上をまとめると、これらの問題のどれ一つとして子どもが勝手にやってきたことではないことは明らかである。むしろ、子どもは、バブルという世の中がもたらした衝動と欲求の渦巻く闇の中で、懸命に生き延びてきたサバイバーといえる。子どもが変わったわけではない。子どもの「心の器」をつくる世の中が変わったのである。

 


平成24年11月 第737号 掲載
「産業保健の話題(第135回)」

感情労働職者のメンタルヘルス

基幹相談員 久留 一郎
(担当分野:カウンセリング)

  アメリカの社会学者であるアーリー・ホックシールドが、対人サービス・援助職における職務の共通的特徴として「感情労働」という概念を提唱した。
   「感情労働」は、感情労働職者(サービス提供者)側の感情を「商品」とみなし、職務上望ましい感情や心理状態に相手・顧客が変化することを意図し、そのために自分の感情をコントロールすること(感情管理)が、職務の中で課せられている労働を指す。その「感情労働」により、対人援助職の労働者は、「感情規則」が課せられることで重篤なストレスに曝され、感情の麻痺や自己の喪失に至る危険にさらされることがある。
  すなわち、ホックシールドによれば、感情労働の条件として、相手との「直接的な接触又は対話」があること、さらに相手に「職務上望ましい感情を引き起こすこと」が求められるという。

  これまで感情労働研究は、客室乗務員をはじめとして、様々な職種で行なわれており、中でも、特に看護師を対象にした研究が多くなされてきた。この背景には、看護師が患者との間で(「白衣の天使」のイメージなどの)よい感情労働を行おうとするあまり、バーンアウトしたり、本当の感情がわかならなくなってしまうなどの心理的反応が現われるという経緯がある。
  航空機の客室乗務員や医療現場の看護師、介護士と同じように、教育現場の幼稚園・学校の教員なども、対人援助職者として相手の満足感を高めるための「感情規則」に支配され、心理的には辛いストレス状況に陥る。また、昨今の学校における不祥事などその背景には、このようなストレスが介在している危険性もあるように思われる。
  特に企業のメンタルヘルス担当者や医師、臨床心理士などの仕事は、安定した感情管理が求められている。その職務は、患者さんやクライアントとの直接的な接触や対話が欠かせないものであり、患者さんという人間を深く理解する人間性、また、クライアントという人間の内面世界へ寄り添い、正確な共感を伝えることのできる人間性が求められている。
  臨床心理士などのカウンセラーの場合、「スーパーヴィジョン」という場が提供されている。熟練したカウンセラーが若手のカウンセラーを「スーパーヴァイズ」したり、カウンセラー同士で「スーパーヴァイズ」する場が提供されている。「スーパーヴィジョン」を受けることで、「自分一人で感情労働のストレスを抱え込むことなく」、「自分の葛藤状況にきづき、克服すること」で安定した健全な感情管理が促進される。

  感情労働者であるメンタルヘルス担当者のメンタルヘルスは、今後、「スーパーヴィジョン」のような「感情管理」の場が提供される必要があるものと感じている。
  (本文は、第87回鹿児島精神神経学会で発表した内容を一部引用し、修正付加したものである。)

 


平成24年10月 第736号 掲載
「産業保健の話題(第134回)」

嘱託産業医の役割をどう果たすか

特別相談員 草野 健
(担当分野:産業医学)

 

  最近、嘱託産業医から産業医の役割に関する質問を受けることが多くなりました。また、印刷会社での胆管がん発症問題もあって、産業医の果たすべき役割が話題になりつつあります。

  産業医は、法律上は「労働者の健康障害を予防するのみならず、心身の健康を保持増進することを目指す」ことになっています。その理念から、労働安全衛生法第13条第1項で「事業者は、政令で定める事業所ごとに、厚生労働省令で定めるところにより、医師のうちから産業医を選任し、その者に労働者の健康管理その他の厚生労働省令で定める事項を行わせなければならない」と決められています。
  では、産業医が果たすべき職務は、というと大きく五つになります。①総括管理②作業管理③作業環境管理④健康管理⑤労働衛生教育、の五つですが、②③④はいわゆる三管理です。②~⑤全部をさして四管理ということもあり、これらの管理を総合して推進するものとして①の統括管理があり、五つ全部を含めて五管理という場合もあります。
  法律上だけでなく産業医学の立場からも、産業保健活動を推進する上で上記の事項は必須です。しかし現実の産業医活動の実態を聞くと、健診に係る事柄に精々衛生教育を加える程度の活動が多いようです。
  三管理または四管理を実効あるものにするためには、労働現場の実態と作業状況さらにそれらを取り巻く物的人的環境を正しく認識することが不可欠で、そのために職場巡視と(安全)衛生委員会が法制化され、巡視も委員会も月1回以上開催されることが義務付けられています。
  では、これらの産業保健活動に産業医はどんな役割をどのように果たすことが必要でしょうか。零細企業や零細企業と変わらない中小企業の多い鹿児島では、専属産業医を置くような大企業での例はそれほど参考にならない場合が多いようです。現場では、安全衛生のためだけに企業内のスタッフを集めて毎月会議を開くことも困難ですし、所詮は外部の人間である嘱託産業医との毎月の日程調整も簡単ではありません。さらに産業医の職場巡視に担当者が同行することも毎月となるとそう容易ではありません。

  中小零細事業場での産業保健活動が不十分になり易い要因を私なりに推察すると、経営者の意識や経営環境の他に、産業医の側に産業医の職務に対する認識不足も一部あるようです。産業医講習を受講し認定を受けている大半の先生方はしっかり認識している筈ですが、少数ながら健診受診率や精検受診率の向上と事業場からの健康相談に応じるだけで、産業医の職務を果たしていると「錯覚」している先生も見受けられます。 政治も経済も混迷の度を加えている時勢では、殆どの事業場は組織防衛に力を注ぎがちとなり、低所得者が増加し貧富差を初めとするあらゆる格差が拡大します。産業保健活動も切り捨てられがちになりますが、そんな時こそ産業医の出番、という気持ちが重要です。 産業医の職務は労働者の健康保持増進と健康障害予防ですが、それは何よりも労働者の労働効率を高め、事業所の生産効率を改善することになるということを産業医自身も理解する必要があります。そしてそれを事業所側と共通認識として共有すること、さらに巡視や委員会の主体は事業場ですから、その主体性を引き出すことが重要になります。 具体的な嘱託産業医の職務の在り方は、対象事業場によっては大きく異なります。その点を重視すると、対象事業場の業務を熟知することから産業保健活動は始まるといえます。嘱託産業医は「本業」の合間に職務遂行しますので、多くの活動を自ら行うより事業場スタッフの力を最大限に活用することが効果的です。そのためにも対象の業務実態把握は必須となります。


平成24年9月 第735号 掲載
「産業保健の話題(第133回)」

平成23年度「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」まとめについて

基幹相談員 前田 雅人
(担当分野:産業医学)

  平成24年6月15日に表題の労災補償状況が厚生労働省から発表されました。注目すべきは,うつ病や仕事上のストレスなどが原因となっておこる精神障害に関する事案の労災補償件数の増え方であり,請求件数は1272件と前年度から91件増加,3年連続で過去最高となっています。支給決定件数も325件と前年度より17件の増加,過去最高でした。この背景には長引く不況による職場環境の悪化,対人関係トラブルの増加があると考えられています。内容をみると,業種別(大分類)では請求件数,支給決定件数ともに「製造業」(216件,59件),「卸売業・小売業」(215件,41件),「医療,福祉」(173件,39件)の順に多く,中分類では,請求件数は「医療業」(94件),支給決定件数は「総合工事業」(22件)が最多でした。職種別(大分類)では,請求件数は「事務従事者」(323件),「専門的・技術的職業従事者」(318件),「販売従事者」(167件)の順に多く,支給決定件数は「専門的・技術的職業従事者」(78件),「事務従事者」(59件),「販売従事者」(40件)の順であったようです。年齢別では請求件数,支給決定件数とも「30~39歳」(420件,112件),「40~49歳」(365件,71件),「20~29歳」(247件,69件)の順でした。

  昨年12月下旬この増え続ける精神疾患による労災申請に対して,厚生労働省は審査の迅速化を図るため,新たな基準を導入しました。ポイントの一つとして心理的負荷評価表を策定し,「強」「中」「弱」の具体例を記載,「発症前6か月の間に2か月連続で月120時間以上の残業をした場合」,もしくは「3か月連続で月100時間以上の残業をした場合」など,「強い」心理的負荷となる時間外労働時間数として判断する数値を明確にしました。また「特別な出来事」の「極度の長時間労働」を「月160時間程度の時間外労働」と明示,「強」の心理的負荷と合わせ,精神疾患になった場合,それだけで労災認定すると定めました。11年度はこの新基準により約3か月間の適用で,135件が認定されています。

  出来事別の支給決定件数では,「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」(52件),「悲惨な事故や災害の体験,目撃をした」(48件),「(ひどい)嫌がらせ,いじめ,又は暴行をうけた」(40件)の順に多かったようです。新基準ではセクシャルハラスメントやいじめが長期間持続する場合には6か月を超えて評価できることになっていますし,発病者であっても特に強い心理的負荷で悪化した場合には労災の対象とすることも可能なようです。
   一方,脳・心疾患に関する事案の労災補償状況の平成23年度請求件数をみたところ,898件と前年度より96件の増加で,この傾向は2年連続しています。請求に対する支給決定件数も310件と昨年よりも25件の増で,4年ぶりに増加に転じているようです。業種別(大分類)では請求件数,支給決定件数ともに「運輸業,郵便業」(182件,93件),「卸売業・小売業」(143件,48件),「製造業」(132件,41件)の順に多く,中分類では請求件数,支給決定件数ともに「運輸業,郵便業」の「道路貨物運送業」(123件,75件)が最多であったようです。職種別(大分類)では,請求件数は「輸送・機械運転従事者」(173件),「専門的・技術的職業従事者」(124件),「販売従事者」(113件)の順に多く,支給決定件数は「輸送・機械運転従事者」(89件),「専門的・技術的職業従事者」(37件),「管理的職業従事者」「サービス職業従事者」(ともに32件)の順に多い結果でした。年齢別では請求件数,支給決定件数ともに「50~59歳」(314件,119件),「40~49歳」(228件,95件),「60歳以上」(227件,60件)の順に多い結果でした。

  精神障害の労災に関する新基準の情報をお伝えしましたが,脳・心疾患による過労死についても「過労死防止基本法」の制定の動きがあるようです。今後もご紹介していきたいと思いますし,一度厚労省のホームページを見られることお勧めします。


平成24年8月 第734号 掲載
「産業保健の話題(第132回)」

医療職とメンタルヘルス

特別相談員 大迫 政智 
(担当分野:メンタルヘルス)

  最近届いた日本精神神経学会の会誌「精神神経学雑誌4月号(114(4);349-383,2012)」には、特集として平成23年度学術総会シンポジウム「医療従事者のメンタルヘルス」が掲載されている。その中で医師に関連して、保坂隆は次のように指摘している。医師職務には精神的重圧感が常に伴っており、これがメンタルヘルス不全の重大な原因となるという認識がおろそかにされている現状がある。この点が「医療崩壊」の原因の一つであるだろう、と。また看護師のメンタルヘルス不全や医療エラーの要因として田中克俊は、経験年数の少なさや技量不足に加えて仕事ストレスと睡眠障害をあげている。以上のような「医療職におけるメンタルヘルス」というテーマは、これまであまり表だって論議されてこなかったように筆者は記憶する。  

  少なからず以前の出来事だが、総合病院看護師のこんな症例があった。外来部門への配置転換のあと数ヶ月して、睡眠障害や食欲低下と共に、漠然とした焦燥感や意欲低下が次第に強くなったため初診した。「 外来業務には従事したことがなかったので、早く慣れなければと、思えば思うほどできなくなっていく自分が情けない」と語った。それらの症状と表情や言動から、休養加療が必要なうつ状態、と判断し診断書を作成した。このとき筆者の判断には、患者の職業が看護師であるという事実が当然影響した。その数日後、所属院長からの電話。処方内容と患者の家庭環境に関する問い合わせだった。診断書に書いたとおりでありそれ以上のことについては本人の承諾があればお話し致します、と返事した。すると「看護師はいのちを扱う職業である。うつ病にかかっていて、看護業務に従事させて良いかかどうかの問題であるから、答えるのは当然じゃないか」と強い口調であった。守秘義務との関連で本人の承諾なしに答えられないことを理解してほしい。そう答えたのだが「もう分かった」と電話は切れた。いのちを扱うという医療職は特殊な職業だから管理者としての責任がある、というのはその通りであろう。しかしそこには精神の変調に対する特殊な(偏見に近い)構え、があったような気もしてならない。  

  ここで異なる視点からこの症例を振り返ると、医療従事者としての患者、医療従事者である主治医、医療従事者としての管理者、皆がそれぞれに「医療従事者」としての精神的重圧を負いながら関わり合っていたと見ることもできる。いま再び同様の事態が起こったら、あの総合病院院長は、あるいは筆者は、果たしてどんな対応をすることになるのだろう。  医師のメンタルヘルス不全の発症要因としてあげられる「精神的重圧感」はかくの如く、単に医師職務に基づくものとしてだけでなく、多様な場面で主客の位置を相互に変えながら「医療職のメンタルヘルス」に関与しているもののようである。


平成24年7月 第733号 掲載
「産業保健の話題(第131回)」

若年認知症

基幹相談員 長友 医継 
(担当分野:メンタルヘルス)

  若年認知症とは、文字通り64歳以下で発症した認知症を指します。さらに、40~64歳で発症したものを初老期認知症、18~39歳で発症したものを若年期認知症と分類します。65歳以上の高齢で認知症を発症した場合は、会社などはすでに定年退職され年金生活をされていたり、子供たちも成人している場合が多いと思われます。また、家族介護者も配偶者やすでに成人した中高年の子供たちです。これに対して、若年認知症患者は、社会人として経済的に家族の大黒柱であったり、専業主婦としても子供の養育が重要であったりする場合が多いので、若年認知症は「働き盛りの認知症」working age dementiaともいわれます。

  若年認知症家族会彩星の会代表の方は、若年認知症の問題点として、告知、経済、親子関係、介護者へのケア、投薬および行政の対応を挙げておられます(軽度認知障害【MCI】認知症に先手を打つ、中外医学社)。

①受容

   認知症の診断を抵抗なく受容できる人は少なく、否認、怒り、抑うつなどの心理的反応が患者本人のみならず家族にもみられます。

②経済

   経済の問題は深刻なものがあります。若年認知症患者は「働き盛り」であるにもかかわらず、就労が困難になり失業を余儀なくされることもあります。そのため、日々の生活費や教育費、さらに治療代に困る場合も少なくありません。また、判断能力が低下しているために、財産を騙し取られるケースもみられます。

③親子関係

   発症後に見られるそれまでと違う言動や行動を示す父親(母親)を受容することができず、親子関係が危機的な状況になる家庭もみられます。また、介護者は、配偶者と未だ若い子供たちですが、時には患者の親になる場合もあります。

④介護者へのケア

   夫が認知症を発症した妻は働きながら介護をしなければならないケースも多いようです。このような場合は、肉体的にも精神的にも追い詰められてしまうことも多く、介護者へのケアも重要になってきます。

⑤投薬

   若年認知症患者には薬物の過剰投与が行われている危険性が指摘されていますが、若年発症のため体力があることがこの背景にあることが推測されます。

⑥行政の対応

   厚生労働省は「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト(2008年7月)」の基本方針のなかで若年認知症対策をあげています。そして、具体的な施策として、若年(性)認知症コールセンターの設置(全国に1ヶ所)および若年(性)認知症患者に対する雇用・就労支援をあげています。しかし、若年認知症への対応がなかなか進んでいないのも実情のようです。

  若年認知症の患者は軽症者も含めると、日本全体で約10万人いると推定されていますので、産業精神保健の分野でも対応の重要性を認識していく必要性が高まっていると思われます。


平成24年6月 第732号 掲載
「産業保健の話題(第130回)」

関係法令の改正と行政の動向について

特別相談員 橋口 良紘
(担当分野:産業医学)

  本年2月以来に鹿児島労働局健康安全課の課長樋口正純氏(4月1日付けで厚生労働省へ異動)の労働安全衛生関係法令の改正についての話を聞く機会が数回ありましたので、鹿児島の産業医に有用と思われる項目についてその要点を伝達します。

  (1)労働安全衛生対策をよりいっそう強化するための「労働安全衛生法の一部を改正する法律案」は三つの柱からなっています。①メンタルヘルス対策の充実・強化 ②型式検定及び譲渡の制限の対象となる器具の追加 ③受動喫煙防止対策の充実・強化です。
  ①のメンタルヘルス対策の充実・強化は定期健康診断の問診に精神的健康の状態を把握する問いを追加し、事業者に医師による面接指導を義務付けてメンタルヘルスの向上を図るシステムの大綱を示しています。もうひとつの目玉、③の受動喫煙防止対策の充実・強化は旅館業、飲食店など以外の職場の全面禁煙、空間分煙を事業者に義務付けるものでしたが、産経ニュースによるとこれらは今国会には提出見送りになっています。

  (2)代わって産業保健への新しい支援対策として24年度に「都道府県産業保健・メンタルヘルス対策総合推進会議(仮称)」を発足させます。産業保健推進センター、メンタルヘルス対策支援センター、地域産業保健センターの三事業を総合的に調整し、特に地域産業保健センターを介して50人未満の小規模事業場のメンタルヘルス対策を支援することなどが計られます。

  (3)粉じん障害防止規則及びじん肺法施行規則の改正では、アーク溶接作業が「屋外」において行うものにまで範囲が拡大されました。屋外のアーク溶接作業でもマスク着用、休憩室の設置、じん肺健診が必要になります。

  (4)石綿関係では、製造等の禁止が猶予されていた唯一の製品ジョイントシートガスケットが猶予された製品ではなくなり、石綿のすべての製品が禁止されることになりました。現に組み込まれている設備は適用されませんが、在庫品の使用はできませんので、修繕して新たに使用することはできなくなります。今後注意すべきは解体作業における暴露です。

  (5)特に危険な作業に係る免許(6免許)について、受験資格要件の「当該業務に2年以上従事した者」等が廃止され、学生などが受験できるようになりました。合格後従事すれば免許が交付されます。6免許とは、高圧室内作業主任者免許、ガス溶接作業主任者免許、林業架線作業主任者免許、二級ボイラー技士免許、発破技士免許及びボイラー整備士免許です。

  (6)3種類の化学物質がリスクが高いことから、①インジウム②コバルトとその化合物は「特定化学物質障害予防規則」、③エチルベンゼンは「有機溶剤中毒予防規則」にもとずく局所排気装置等の設置、作業主任者の選任、作業環境測定の実施等の規制がなされます。

  (7)「放射化物」を取り扱う業務が放射線業務に加えられました。これにより「放射化物」を取り扱う業務について作業環境測定の実施、健康診断を行うべき有害業務、電離放射線障害防止規則の適応の規制がかかります。「放射化物」とは極めて高いエネルギーを持つ電離放射線を浴びることにより物質そのものが放射性物質に変化したもので、放射能が付着し汚染されたものではありません。


平成24年5月 第731号 掲載
「産業保健の話題(第129回)」

業務上疾病予防、解は現場にあり~再生は現場の決断実行~

基幹相談員 德永 龍子
(担当分野:保健指導)

  保健師の私は大学院で経済学を学んだ。経済の視点で労働現場の保健を見ると共通点が見え面白い。
  2010年に会社更生法の適応を申請した日本航空が2012年3月期、最高益をうかがう。日航再建の主体は企業再生支援機構の前会長の稲盛和夫(80)らに委ねられた。実は日航の破綻直前に、稲盛らが日航に施した再建プランの構想と大きく変わらないプランがまとまっていたという。2009年9月に日航に乗り込んだ田作朋雄(56)らは現場職員から聴き取り解を見出す。破綻前にそれが実行できなかったのは「危機意識が欠如していたから」と元企画担当者の証言である。解は現場にあったが、誰もそれを実行しないまま日航は破綻へと突き進んだ。2010年の破綻で危機に陥り、現場から得た3項目のコミットメント(必達目標)を決断実行し、V字回復を呼び込んだのである。 (2012年2月29日、日経新聞「ニッポンの企業力」第4部サバイバル 著者要約)

  このように企業再生を託された経営者が、不振企業に施すマネジメント処方箋のほとんどは正攻法。①冷静な現場分析、②合理的な決断、③実行の管理、④生産的にする道具の4条件である。現場で決断と実行ができなくなっている。企業では、大きな非連続が必要なとき、しがらみなく前例を否定できる人材を登用する場合がある。その方がサバイバルできるからである。保健分野にも共通する。
  全国における業務上疾病発生状況は、2010年は8,111人である。その内訳は、災害性腰痛など負傷に起因する疾病が71.7%と多い。また、全国における2010年度の脳・心臓疾患の労災認定は285人で、精神障害等の労災認定308人の方が上回った。精神障害等の請求件数は年々増加し、2010年度は1,181件と2年連続で過去最多を更新している。厚生労働省が2007年に労働者を対象に実施した調査では、6割近くが職業生活でストレスを抱えていると回答している。中でも、医療・福祉業界は全体の平均を上回っている。厳しい労働環境で仕事のストレスが増える中、精神的なトラブルを抱える職員の対策が急がれる。

  相談が気軽にできる職場の仕組み、産業カンセラーなどの資格を持った身近な「ピアサポーター制度」、相談センターへの紹介活用、同時に医師等の面接や治療が必要なケースを見逃さない対策である。定期健康診断時には「ひどく疲れた」「眠れない」「憂鬱だ」といった簡易なストレス症状の判断テストを職員に実施し心の状態を把握する方法もある。業務上のヘルス問題の未然防止には、現場の「働きすぎ」「コミュニケーション不足」「環境不適」などのマネジメントをして合理的な解を見出し、必達目標を労使協働で決断実行し結果を出す。危機意識を持ち、相互の強み力を信じ、楽しく、やさしく、達成感が鍵となる。

(厚生労働省「業務上疾病調べ」「脳・心臓疾患及び精神障害等に係る労災補償状況」他)


平成24年4月 第730号 掲載
「産業保健の話題(第128回)」

特定健診・特定保健指導事業の今後

基幹相談員 瀬戸山 史郎
(担当分野:産業医学)

   特定健診・特定保健指導事業の今後 鹿児島産業保健推進センター基幹相談員 瀬戸山 史郎 (鹿児島県医師会 産業保健担当理事) 21世紀の新しい生活習慣病対策事業として、40歳以上の男女を対象に、内臓脂肪型肥満を基盤として発症するメタボリックシンドローム該当者及び予備軍を健診で抽出し、重症度に応じて特定保健指導を行う特定保健・特定保健指導事業が平成20年度4月よりスタートしたが、特定健診実施率、特定保健指導実施率ともに、伸び悩んでいる。
  平成25年度までに、特定健診実施率は全国目標で70%、保険者別では単一健保・共済が80%、総合健保・政管・国保組合等で70%、市町村国保で65%、特定保健指導実施率はいずれの保険者も45%、メタボ該当者及び予備軍の減少率は10%という目標に達しない保険者は後期高齢者医療保険への拠出金を10%上乗せするというペナルテイ措置が課せられているにも拘わらず、平成23年1月公表された平成20年度の特定健診実施率は県全体で31.5%と全国平均の38.3%、九州全体平均の34.2%をいずれも下回っており、保険者別では健保組合・共済で49.5%、市町村国保で27.9%、協会けんぽに至っては25.3%と低率である。
  また、特定保健指導実施率は県全体で12.2%と全国7.75%、九州全体の11.2%を上回っている。保険者別では保健師を多く抱える市町村国保が21.2%と断突で、健保組合・共済9.6%であるが、保健師などの人的資源の少ない協会けんぽは僅か5.4%と低率である。

  特定健診受診率低迷の要因の一つとして老健法で健診項目に入っていた心電図検査や貧血検査が医師の判断により実施可能という条件付きとなったことや安衛法で義務づけられている胸部X線写真が健診項目に入ってないなどの健診項目に問題ありということも指摘されているが、最大の問題点は健診項目に空腹時採血が原則の空腹時血糖と中性脂肪が入っていることである。
  現在、行政は受診率アップ対策の一環として医療機関受診者や治療中の患者で特定健診項目を満たしている者は、特定健診受診者としてカウントするために県下各地の医師会と契約履行中であるが、高脂血症の患者でも検査は年に精々2~3回程度であり、糖尿病でもHbA1cの普及で空腹時血糖を測定する患者は少ないために特定健診項目に空腹時血糖と中性脂肪が入っていることが最大のネックとなっている。この問題の解決策としては糖尿病の判定項目として空腹時血糖の代わりにHbA1cを用い、高脂血症の判定項目として中性脂肪を除外し、HDL-Cのみとする事業内容の変更以外にないと考えられる。

  健診項目以外で受診率低迷の要因としては保険者の種別による受診環境の違いが考えられる。県職、市町村職員、警察職員等が加入する共済組合、従業員50人以上の産業医選任義務のある中企業・大企業の従業員が加入する健保組合や自営業者や農業従事者およびそれらの家族が加入している国保では比較的、特定健診や特定保健指導を受けやすい環境にある。ところが、本県に約81,600ある事業所のうち、産業医選任義務のある従業員50人以上の事業所は僅かに2.0%、従業員数にして約642,000人中の30%であり、従業員5人以下の零細企業は64.0%、10人以下まで入れると実に82.3%にものぼり、従業員数にして32.1%を占めている。これら零細企業の従業員は生活のため仕事を優先せざるを得ない労働環境にあり、健診を受けたくても受けられないのが実情である。
  受診率アップ対策として行政は夜間、土日の受診を呼びかけているが、夜間受診では空腹時血糖や中性脂肪の採血不可能であり、土日は通常の健診機関は休日となっており、医療機関でも土曜日はともかく日曜日は休日当番以外では休日扱いとなっている。ましてや、従業員5~10人以下の職場は飲食業やサービス業が殆どを占めており、土日や夜間は、まさにかき入れ時であり、夜間、土日の受診率アップ効果は疑問視せざるを得ない。

  今回の特定健診・特定保健指導には根本的に二つの大きな問題点がある。
  一つは始めに腹囲ありきの健診である事から特定保健指導対象を男性で腹囲85cm以上、女性で腹囲90cm以上あるいはBMI25以上に限定した点である。本県ではBMIが25以上の肥満者は男性で30.1%つまり3人に1人、女性で18.5つまり5人に1人弱であり、男性の2/3、女性の4/5人は糖尿病、高脂血症、高血圧等の何らかの生活習慣病を有しているにも拘わらず、特定保健指導の対象外となっていることである。
  現に、昨年9月には厚労省の「循環器疾患と腹囲の関係」について全国の40~70歳代3万千人について調査した結果では、腹囲やBMIがメタボの基準以下でも血圧や血糖、中性脂肪が高ければ腹囲やBMIがメタボの基準以上の人と同じくらい循環器疾患が発症するということを報告している。これを受けて、厚労省は「40歳~50歳代の男性は過去に比べてメタボも多く、85cmを基準とする腹囲測定に意義がある。今回のメタボ健診が肥満への意識を高めた意義は大きい。この調査結果をうけて、今後は現制度に非肥満者対策を取り入れた新しい健診制度を創設することも想定していると苦しい言い訳をしていることは記憶に新しい。

  もう一つどうしても解せない問題点として服薬中の者は原則として特定保健指導の対象者としないという指針があることである。そもそも、今回の特定保健指導の目的は内臓脂肪型肥満のあるひとでも、糖尿病、高血圧、高脂血症等の脳・心血管イベント(心筋梗塞・脳卒中)のリスクファクタ-がそれぞれ、一つ加わっても発症のリスクは少ないが、これらのリスクファクタ-が2つあるいは3つ以上なると脳心血管イベントが飛躍的に増加するという厚労省の作業部会の調査結果に基いて、内臓脂肪型肥満を氷山に、糖尿病、高脂血症、高血圧を氷山の上に突き出た3つの山に例え、食事療法と運動療法の徹底で、先ず、内臓脂肪型肥満を改善する(つまり氷山を水面下に沈める)と糖尿病、高血圧、高脂血症が改善する(つまり3つの山も水面下に沈む)という観点から、内臓脂肪型肥満の改善なくして、糖尿病、高血圧、高脂血症の改善なしというロジックで始まった特定保健指導の当初の目的とはまさにかけ離れた指針といわざるを得ない。

  ちなみに特定保健指導の該当者で薬剤治療中の者は市町村国保に限っていえば、高血圧治療中が男性32.8%、女性29.2%、高脂血症治療中が男性8.4%、女性15.5%、糖尿病治療中が男性6.8%、女性3.9%であり、男女とも実に50%近い人が服薬中となっているのである。この事が特定保健指導実施率を低迷させている最大の要因といえる。今後の改善策として早急に服薬中のものも特定保健指導の対象とするという方針を打ち出すことに尽きるのではないかと考える。このままで推移すれば、特定健診・特定保健指導の目標達成の見通しは、face to faceの健診受診勧誘が可能な人口千人以下規模の町村では実現可能かも知れないが、人口60万人の鹿児島市をはじめとする都市部では、現時点ではかなり難しいというのが正直な感想である。


平成24年3月 第729号 掲載
「産業保健の話題(第127回)」

仕事脳と癒しのはざ間で

特別相談員 山中 隆夫
(担当分野:メンタルヘルス)

  うつ病と診断されると、薬物療法や職場の環境調整だけでなく、認知行動療法(以下、CBT)を加えることが推奨されている。ある出来事があっても、その結果は、それをどのように見たか(認知スタイル)によるところが大きい、とされるからである。
  そこで、CBTの最大の目的はA・ベックが提唱した各種の“自動思考”、つまりは「認知の歪み」を修正していくことにある。すべし (should) 思考、全か無か的思考 (悉無律)、などの認知をである。そのいずれもが自己否定につながりやすいためで、たとえば、「頑張らなければいけない」といった「すべし思考」は、逆説的に言うならば、現時点では「頑張っていない」ことを無意識に自己陳述していることになる。このようにして習慣化された自己否定的認知がうつ状態につながりやすいのは当然とされている。

  一方で、精神分析に基礎を持つ交流分析でも、「完全であれ」、「強くあれ」、「もっと努力せよ」、「急げ」、「親や他人を喜ばせよ」といったドライブ(ブレーキがきかずに行動を駆り立てるもの)の軽減・是正を図る治療を行っている。そうしなければ、個人は疲弊の極に達し、心身ともに重篤な状態に置かれやすいからである。
  このように、上述の「すべし思考」に代表される認知スタイルは治療者サイドからは“歪み”とされるのだが、産業面ではそうではない。歪みどころか最適、必須の理想的認知であって、まさに産業界の申し子なのである。 
  なぜなら、この思考(ドライブ)のもと、農業、工業、商業、医療などから世界を相手に戦う一流企業まで、働く人々は顧客に喜ばれる完璧なモノ作りやサービスに努め、それを迅速・的確にやって、熾烈になるばかりの競争市場を勝ち抜いてきた。作ってはならない不良品、してはならない(医療)ミス。
  このように、「すべし思考」は、仕事と癒しの両面で、二律背反的な結果を招くことになってしまった。つまり、この思考に駆動される仕事脳は、現場においては、原因追求型の問題解決法でもって、絶大な威力を発揮する。このため、人は真面目な努力家であればあるほど、仕事だけでなく、自らの心の不調(うつ病)に対してまでも、手慣れて、使いやすいこの仕事脳(先述した様々なドライブ)で以って、解決しようとする、が、うまくはいかない。仕事のやり方と癒しでは、解決法が違うのである。

  では、癒しはどうしたら得られるのだろうか?
  あるがまま。そのまんま。治そうと頑張らない、ムキにならないことである。薬物療法と環境調整のなか、好きな事をしながらでも、“治るのを待つ”ので ある。ケガをした時、ひたすら身体の傷が癒えるのを待つように。我々は心身統一体として、心身一如の存在なのだから、心でも同じ。
  …と、偉そうに書いてきたが、これは日本が誇る森田療法、ひいては禅宗の説くところである。そして今、国際的にはCBTがマインドフルネスや行動活性化療法へと発展・進化を遂げているが、内実は大先輩の森田療法に瓜二つ。産業保健の分野でも、この療法が再評価される時期がきていることを示している。


平成24年2月 第728号 掲載
「産業保健の話題(第126回)」

ソーシャルキャピタル(社会関係資本)を豊かにしよう!

基幹相談員 小田原 努
(担当分野:産業医学)

 

  公衆衛生の分野では、ここ10年ほど「ソーシャルキャピタル」が注目されています。ソーシャルキャピタルとは、「社会関係資本」「無形の社会資本」などと訳され、「社会的な繋がりとそこから生まれる規範・信頼であり、効果的に協調行動へと導く社会組織の特徴」(Putnum,1993)などと定義されています。「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」の豊かさなどの指標で軽量化されたソーシャルキャピタルは、いろいろな健康指標との間に関連が認められるという報告がいくつもあります。 例えば、フィンランドでは、余暇参加や信頼感を持つ人が多い地域では、死亡が少なく特に女性では循環器系疾患による死亡が少なかったという報告があります。アメリカでもソーシャルキャピタルに関連する指標と犯罪、暴力の指標及び全死因死亡の関連が示されています。また精神疾患でもマルチレベル研究では、ソーシャルキャピタルが豊かなほど精神疾患が少ないという関連が認められています。

  ソーシャルキャピタルが健康へ及ぼす作用機序ですが、個人的に友人を多く持つ人ほど、助けられたり、良い情報を得る機会が多くなることは容易に想像されます。また地域のソーシャルキャピタルが豊かであれば、地域住民が結束して歩道や運動施設の設置、保育所や保険医療サービスの向上を求めたり、禁煙条例の制定などが行われ、地域すべての人の健康に恩恵があると考えられます。

  職域でもこのソーシャルキャピタルを豊かにすることによって、社員の健康度を高められないかと議論されるようになってきました。現在の職場環境は、経営的な理由から社内運動会や親睦会が中止になったり、福利厚生の活動が縮小されてきています。また労務上も目標管理制度によって個人の管理が進み、チームより個人の成果が求められるようになっています。更に同じ職場に正社員と非正規の社員が混在し、情報格差や所得格差が広がっており、職場での一体化が弱まってきています。個人の側も他人との葛藤を避けて、ITによるコミニュケーションに頼る風潮もあり、結果としてソーシャルキャピタルが毀損されることが多くなっています。この毀損が心理ストレスを高め、互助の精神を失わせる結果となっているのではないでしょうか。まずは朝の挨拶を徹底し、チームでの活動を評価するようにし、計画的な親睦会等でコミュニュケーションを密にすることで、お互いの信頼感が高まり、結果的に働く人の健康度を高めていくことになるかと思います。


平成24年1月 第727号 掲載
「産業保健の話題(第125回)」