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令和8年バックナンバー

「草野健先生を偲んで」

鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
 堀内 正久
(担当分野:産業医学)

正月明けの突然の訃報でした。長く鹿児島産業保健総合支援センター(以下、産保センター)の所長としてご活躍をされました。

草野先生は、鹿児島大学旧第二内科のご出身で、私の先輩にもなります。消化器内視鏡を専門とされ、鹿児島厚生連病院健康管理センターの副所長として鹿児島の予防医学の向上に貢献をされました。その後、鹿児島大学名誉教授(衛生学講座)の故松下敏夫先生に請われ、産保センター所長に就任されました。私は、産保センターの産業保健相談員ということで、2か月に1回ほど産保センターを訪れ、草野先生のお話を聞く機会に恵まれました。旧第二内科の初代教授であった故佐藤八郎先生の話題では、とても懐かしそうに笑顔を浮かべながら話をされていたことを思い出します。

草野先生の考えの基盤は、法律でカバーされない労働者へのやさしい視点だったと思います。労災保険に加入できない1人親方や一次産業従事者に対して、労災特別加入制度を利用できるよう周知に努められました。産業保健の最近の話題として、化学物質管理の新しい仕組みづくりがあります。全国に先駆けて、産保センターの運営協議会の委員として、鹿児島県薬剤師会が認められた背景に草野先生のお力添えがありました。また、理学療法士や心理専門職においても、産保センターの活動に必要な人材を産業保健相談員として積極的に登用され、大きなチームを作られたかと思います。

今年の11月には、8年ぶりに鹿児島県において九州医師会医学会が開かれます。分科会としての産業医学会では、草野先生に「産業医50年、嘱託産業医に伝えたいこと(仮題)」というタイトルでご講演の依頼をしておりました。残念ながら叶わぬこととなりましたが、鹿児島の地での産業保健関連の講演会が盛会となりますように、医師会会員の皆様におかれましても積極的な参加をお願いするところです。草野先生の志を引き継ぎ、弱者のための予防医学、産業保健の活動が鹿児島においてより展開することが、せめてものご恩返しになるものと思います。

最後に、草野先生が執筆された「さんぽ鹿児島」メールレター(本年1月号)の一部を転載して、心よりの感謝の気持ちをもって追悼とできればと思います。なお、転載につきまして私の思いを産保センターにお伝えしましたところ、ご快諾を得ましたことで、ここに掲載させて頂きました。

「産業保健課題に百点満点の回答はあり得ず何点以上が合格という基準もありません。経済状況も労働環境も日々変化することから各種の対策も常に状況に対応する必要があります。そのためには各職場で働く人全てが参加して専門職の意見を参照しながら実施策も常に更新する必要があります。当然のことでもあるPDCAサイクルの反復を常態化し費用を掛けるのではなく智慧を絞ることが強く求められます。一事業体でできることには限りがありますが、できることの積み重ねが未来を創ることを信じています。」

令和8年4月 第898号 掲載
「産業保健の話題(第296回)」

酸欠・硫化水素発生現場の近年の災害事例とリスク評価について

鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
 田原 崇志
(担当分野:労働衛生工学)

産業保健の領域において、酸素欠乏や硫化水素中毒は依然として重大な労働災害であり、特に硫化水素(H₂S)は強い毒性を持つため、閉鎖空間では酸欠と同時に発生しやすく、複合的なリスク評価が欠かせません。酸欠災害の死亡率は約47%と非常に高く、事故が発生した際の致命性の高さが際立っています。

近年も酸欠・硫化水素中毒災害は繰り返し発生しています。2025年には秋田県男鹿市の下水道工事現場で作業者3名が死亡する事故が発生しました。現場では酸欠空気の流入や硫化水素の発生が疑われ、濃度測定の未徹底や継続的な換気不足が主な原因とみられています。同年8月には埼玉県行田市の下水道管路点検作業で4名が死亡する事故も発生し、厚生労働省は適正な作業計画、硫化水素濃度測定の確実な実施、有効な換気、空気呼吸器や墜落制止用器具の着用などを周知する通知を発出しました。

硫化水素発生現場では、環境条件のわずかな変化で危険が急激に高まります。硫化水素は有機物の腐敗や硫酸塩還元菌の活動によって自然発生し、下水道のような閉鎖空間では濃度が急上昇することがあります。特に夏季は発生量が増えやすく、事故リスクが高まります。

こうした特性から、リスク評価の第一歩は発生源と環境条件の把握です。硫化水素は温度・湿度・滞留水・有機物量によって発生量が変化するため、季節や天候によってリスクが大きく変動します。マンホールやタンク内部などの閉鎖空間では、わずかな環境変化で濃度が急上昇するため、作業工程ごとに危険性を再評価する必要があります。

次に、測定体制の強化が重要です。作業者が胸部や足首に装着するタイプの酸素濃度計は、定点式よりも早く酸素低下を検知できるとされています。また、硫化水素は空気より重く低所に滞留しやすいため、複数の高さでの測定が有効です。

硫化水素事故では、救助に入った作業者が二次災害に遭うケースが多く見られます。硫化水素は嗅覚疲労を起こすため臭いで判断できず、倒れた作業者を助けようとした同僚が次々に被災する事例が後を絶ちません。このため、救助体制を酸欠事故と同等レベルで整備し、空気呼吸器の使用や救助手順の訓練を徹底することが不可欠です。

さらに、組織文化や教育の質もリスクに直結します。酸欠災害の背景には「慣れ」「急ぎ」「危険の過小評価」といった心理的要因が多く、特に協力会社や短期雇用者が多い現場では教育のばらつきが事故につながりやすい傾向があります。

総じて、酸欠・硫化水素発生現場のリスク評価では、最近の災害事例の傾向を踏まえた「動的な安全管理」が求められます。作業前の測定だけに頼らず、作業中の変化を前提にした評価と、技術・教育・組織文化を統合した対策を講じることが、命を守るための鍵となります。

令和8年3月 第897号 掲載
「産業保健の話題(第295回)」

逆境的小児期体験(ACE)と産業保健― 三つ子の魂(禁止令)いつまでも ―

鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
  山中 隆夫
(担当分野:メンタルヘルス)

昨年末近く、NHK Eテレで、「特集逆境的小児期体験 —成人後も続く“生きづらさ”―」という番組が再放映されていた。

内容は身体的(情緒的・性的)虐待、身体的(情緒的)ネグレクト、両親の別離、家族の精神疾患、家族のアルコール(薬物)依存、DVの目撃、家族の服役などの計10項目のうち4つ以上の体験があれば成人後にガン、脳卒中などに加え、対人関係・精神的不調といった健康リスクが有意に増加するというものであった。子ども時代の逆境体験が一生の健康格差につながるというわけある。

米国のFelittiとAndaにより“ACE study”として発表(1998)されたこの学説は従来からあるアダルトチルドレン、愛着障害、機能不全家族、複雑性PTSDなどの概念と通底するものの、大きく異なる点を有していた。それは大規模な疫学研究をベースにしていて、ACEスコアと身体・精神疾患との関連性を定量化することに成功していたことである。このため本学説は心理学・医学の領域を超え、教育・社会問題にも解決に大きく寄与するものとなった。

事実、これは産業保健のメンタル分野においても例外ではない。国内外のACE研究が医学リスクの増加傾向だけでなく、職場での生産性の低下、精神的疲労、組織からの孤立感、うつ病、バーンアウト、さては苛め(被害・加害)問題に至るまで関連性の深さが報告されている。

では何故にACEがこのような有形無形の深刻な影響を成人してもなお与えるのであろうか?

それは「禁止令」の存在に帰するところが大きいと思われる。なぜなら、“小児期逆境体験”であれば必然的に「抑圧された幼少期の葛藤が成人後の症状を形作る」としたフロイト学説に遡(さかのぼ)らざるを得なくなる。そして、その流れの中に交流分析(Eric Berne)があり、またそのなかに禁止令がある。

禁止令はGoulding夫妻が1976年に発案したもので、幼少期に保護者から言葉、態度、感情を通して暗黙裏に刷り込まれる生存戦略であり、人生脚本である。夫妻があげた基本的な12のリストのうち、主な禁止令とその結果としての脚本を次にあげてみる。

  • 存在するな(私は要らない子)
    →自己破壊、モーレツ社員、自殺
  • 近寄るな(人は信用できない)
    →対人恐怖、自閉傾向
  • 感じるな(泣くな、怒るな、悲しむな、喜ぶな)
    →心身症に特徴的なアレキシサイミア(失感情症)状態となる。
  • 成長するな(親の言う通りにしていればいい)
    →成熟拒否、依存的、フリーター
  • 子どもであるな(厳しすぎる躾け)
    →自分だけが我慢すればいい、甘えてはいけない、愛や喜びのない人生、自己犠牲的、ヤングケアラー
  • 健康であるな(病気だからこそ愛される)
    →疾病逃避の人生
  • 成功するな(褒めず、批判ばかりの親)
    →どうせ私は何もできないと非建設的人生
  • 重要であるな(あなたは何をやってもダメ、と軽蔑・拒否の親)
    →自分はダメ人間、どれだけ成功しても満足できない、うつ病、バーンアウト

このTV番組に登場したACE体験者も同様の陳述をしており、まさにこの禁止令の内容と平仄(ひょうそく)を合わせていた。ところで、このような人生脚本は自己暗示ともなって、強い自己否定と失感情、べき思考、乏しい親和性と自己主張などをさらに保持・増強させるため、手かせ・足かせとなり、円滑な社会生活や生産活動(仕事)の面に強いブレーキをかけることになる。産業保健の面でも諸問題の基底(原因)となって、多大な支障が出るのは当然といえよう。

なお、代表的な治療法としては古典的な再決断療法と近年の認知行動療法(CBT)があるが、筆者のお薦めは脱フュージョン療法(Defusion)である。これはマインドフルネス(ACT)の治療技法の1つで、人生脚本を治すのではなく、歪んだ自分の思考から距離をとって、振り回されないようにしていく方法である。似たものに低い自己肯定感を自分で慰めるセルフ・コンパッション法がある。もちろん、心的外傷の存在が顕著な場合には、BSP(Brain Spotting)を用い、トラウマ処理を先に済ませることにしている。

以上、職場でのメンタル不調問題において、職場・組織の問題の背景(遠因)にACE、ひいては禁止令の存在を考慮する必要性と重要性について述べた。

令和8年2月 第896号 掲載
「産業保健の話題(第294回)」

「過労死等を防ぎましょう」

鹿児島産業保健総合支援センター 産業保健相談員
  小田原 努
(担当分野:産業医学)

11月は「過労死等防止啓発月間」です。厚生労働省は、過労死等をなくすために、シンポジウムやキャンペーンなどの取り組みを行いました。併せて、10月末に、「令和7年版過労死等防止対策白書」も発行されました。

白書によりますと、過労死と判断される脳・心臓疾患は、令和3年度までは減少傾向でしたが、令和4年度より増加傾向となっています。コロナ後より、労働時間が増えているのが原因でしょうか。実際、労働者の方と話していると、物価高騰もあり、収入を増やそうと、副業を兼ねている方も以前より増えているようです。精神障害による労災保険給付の請求件数はうなぎのぼり(グラフ)で、特に女性が増えているのが最近の傾向です。

業種別では、「医療・福祉」「製造業」「卸売業、小売業」の順で多くなっており、「医療・福祉」の急激な伸びが気になるところです。精神障害の「出来事別」の決定件数では、「対人関係」が他に比べて非常に多く、次いで、仕事の量・質、パワーハラスメントと続きます。「対人関係」の詳細を見ると、「上司とのトラブル」が6割以上を占め、次いで、同僚とのトラブル、顧客や取引先、施設利用者などから著しい迷惑行為を受けたが続いています。上司からのパワーハラスメントですが、現在は意図的にハラスメントを行っている方は少なく、少し感情的な言い回しをハラスメントと取られている方も多いので、早めに周囲の方が上司に注意してあげることが必要です。そのためにも、内部の相談窓口、外部の相談窓口を設置し、気楽に相談できる体制を作ることも大切です。また最近はカスタマーハラスメントも大きな課題となっています。トップがハラスメントには毅然と対応することを宣言し、ハラスメントを受けた場合の体制の構築、また研修などを行うことも重要です。最近は、若い方はchatGPTに相談する方も増えているようですが、職場のストレスは職場でしか解決できません。日頃からコミュケーションを取るためにも、医療機関も上司が部下の思いを聞く、ONE-ON-ONEなどの導入も検討する必要がありそうです。ONE-ON-ONEとは、上司と部下が1対1で行う面談で、業務報告や評価のための面接ではなく、部下の成長支援や信頼関係の構築のために行われるもので、多くの会社が取り入れています。仕事の進め方や課題の相談、モチベーションやメンタル面の状況確認、チームの課題や改善点の共有などが目的で、月に1度程度行われている企業が多いようです。職場を蝕むストレスに早めに気づくためにも、医療機関でも導入の検討はいかがでしょうか。

令和8年1月 第895号 掲載
「産業保健の話題(第293回)」