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30年バックナンバー

職場でハチに刺されたときのマニュアル

鹿児島産業保健総合支援センター相談員
冨宿 明子  
(担当分野:産業医学)
(労働衛生コンサルタント)

   大隅半島の山の中にある事業場の衛生管理者(以下、「衛生」と称する)より、嘱託産業医のところへ電話がかかってきました。
   ハチのシーズンが終わりつつある今、職場でハチに刺されたときにどうすればよいか、来シーズンに向けてマニュアルを作りたいと考えているようです。

衛 生;スズメバチとかアシナガバチとかって、刺されたら「アナフィラキシー(命にかかわるような
           激しいアレルギー症状)」になって死ぬこともある、って聞くんですけど、ミツバチに刺され
           てもアナフィラキシーで死ぬことはあるんですか?
産業医;ちょっと調べてみるね。カタカタ。
           えーと、スズメバチほど有名じゃないけど、ミツバチでもアナフィラキシーショックはあり得
           るらしいよ。それに、針が皮膚に刺さったままになるって書いてあるから、ある意味やっかい
           かも。
           でもさ、自分が刺されたハチが、スズメバチかアシナガバチかミツバチかって、瞬時にみん
           な、分かるかな?私は養蜂場の娘じゃないから分からないけど。大隅の子はみんな分かるの?
衛 生;うーん、そういえば僕も分かりません。そうですね、ハチの種類にこだわるのは意味ないです
           ね。
           そしたら、ハチに刺されてアナフィラキシーっぽくなったら救急車を呼ぶ、っていうことにな
           ると思うんですけど、なんか分かりやすく箇条書きになってるようなの持ってませんか?
産業医;おたくの会社って、山のてっぺんにあるよね。救急車を呼んでも到着するのに20分かかるよう
           な。
           箇条書きに照らし合わせて、アナフィラキシーになったかなーと思ってから救急車呼び始めた
           んじゃ、救急車が来てくれた頃には、死んでるかもよ。
衛 生;死んでますか。
産業医;もうさ、ハチに刺されたら全てのケースで、会社の軽トラの助手席に乗せて、すぐに人里に向
           かって走り出した方がいいんじゃないの? たとえアナフィラキシーを発症していなくても、
           病院の先生は喜んで針をピンセットで抜いたり軟膏を出したりしてくれるよ。
衛 生;そうですね。そのマニュアルがシンプルでいいですね。
           「ハチに刺されたら軽トラの助手席に乗せて病院に向かう」…と。
           軽トラに乗る前に、応急手当みたいなのはしなくていいですか? 毒を吸うとか。
産業医;毒を吸うって、意味ないばかりか良くないかもしれないんだってさ。毒吸引グッズみたいなも
           のを会社のお金で買わないでね。勿体ないから。
           蛇口の水で洗う、っていうのは良いみたいだから、やってもいいかもしれないけど、そんなこ
           とする時間も勿体ないかも。あ、おしっこかけたらダメよ。
衛 生;何時代のおまじないっすか、それ。
           で、助手席でアナフィラキシーっぽくなったらやっぱり救急車を呼ばないといけないと思うん
           ですけど、アナフィラキシーの分かりやすい症状って何ですか?
産業医;顔とか頭皮とかが赤くなって、タコ坊主みたいになったのを見たことあるよ。時々、運転しな
           がら助手席の人の顔色をチラチラ見たらいいかも。
           他には、のどをかゆがったり、声が出にくくなったり。二人でずーっと会話しながら運転して
           いたら、気付くと思うよ。
衛 生;了解でーす! 現場に言っときます。じゃ、来週の職場巡視、宜しくお願いします。ピッ。
産業医;そっか、来週、私がハチに刺されたんじゃ、笑い話にもならないわ。
           服装は、カタカタ…黒はダメなのね。巣を襲う熊に見えて襲ってくるから…って熊て。いつも
           黒のパンツだけど、来週はベージュにしとこ。膨張色で脚が太く見えるけど。
           あ、来週、衛生管理者くんにエピペン(アナフィラキシーの自己注射)の話もしとこ。

来週、現場の声も聞いて、マニュアルを完成させる予定です。

鹿児島労基 平成30年11月号掲載
労働衛生管理の組織的な取り組み

鹿児島産業保健総合支援センター相談員
黒沢 郁夫  
(担当分野:労働衛生工学)
(黒沢労働安全衛生コンサルタント事務所 所長)

 

  私たちは多くの時間を仕事の場で過ごします。有害業務に従事する職場では、労働衛生管理が不十分な場合、時には健康を阻害することがあります。
  労働衛生管理を行う目的は、人命尊重、経営経済の向上、社会的信用の確立にあります。仮にも労働災害発生でこれらに影響を与えることはあってはなりません。
  そのために労働衛生管理は組織的に取り組むことが不可欠です。事業者及び現場責任者、衛生管理者、安全衛生推進者等がそれぞれの職務を遂行することが労働衛生管理の基本です。衛生管理者、安全衛生推進者の有資格者が形式的に選任されているだけで、実践に結びつかなければ、真の労働衛生管理は望めません。
  労働衛生管理は作業環境管理、作業管理、健康管理の3管理が中心になって実施されます。実践は労働衛生の要点を把握している有資格者が中心となって、現場責任者等の協力の下で組織的に労働衛生管理が行われるべきものです。これらの有資格者は、事業者から労働衛生管理に関する権限の委譲を受けているので、年齢差、先輩・後輩に躊躇することなく職務を遂行すべきです。
  さて、3管理の中の作業環境管理についてですが、作業環境管理とは、作業環境中の有害要因を工学的な対策によって除去し、良好な作業環境を得るための管理となっています。この工学的対策とは密閉設備、局所排気装置、プッシュプル排気装置、全体換気装置等の設置が該当します。いずれも有害物に起因する健康障害を防止するための装置です。特別規則(有機則、特化則、鉛則等)ではこれらの設置が義務付けられていますが、特別規則以外の化学物質についても努力義務として検討する必要があります。特に手作業が多い有害業務では、局所排気装置等が環境改善に有効な手段となっています。
  次に作業管理ですが、作業管理とは、職場における労働者の健康を保持増進するために作業自体を管理して、作業のやり方を適切に保ち、労働環境の悪化と労働者への影響を少なくするものとなっています。ここで作業自体の管理の一つ目は適切な作業手順を必ず守ることです。仮に自分勝手な作業をしている人を見逃すと、それが見本となって職場内の作業手順遵守は難しくなります。二つ目は作業内容に合った適切な保護具を着用することです。この場合、保護具着用は自分自身の健康障害防止のためと本人が理解し、納得することが大切です。本人の自覚が強ければマスク未着用は避けられます。
  最後に健康管理ですが、健康診断の実施とその結果に基づく措置と、健康状態に悪い影響を与える有害因子を解明し、作業方法、作業環境の改善に結びつけることとなっています。例えば有機溶剤(トルエン)業務従事者に対する特殊健康診断で尿中の馬尿酸の測定があります。異常値の場合は原因が現場にあるので作業環境管理、作業管理に潜む問題点を究明します。原因の一つとして作業手順通りにしていないことが明らかになったりします。
  以上の通り労働衛生管理は3管理が中心に展開されていますが、加えて労働衛生教育管理や総合管理(体制、職場巡視、リスクアセスメント等)を含めて5管理として事実上取り組みが行われています。
  職場巡視でパート従業員が、洗浄作業の洗浄液がメタノール(有機溶剤)であることを知らずに作業をしている例がありました。この場合は、事前にパート従業員も含めて労働衛生教育を行うことが法的に義務付けられていますので、全員に徹底すべきです。教育をする際には、化学物質の危険有害性等が記載された、安全データーシート(SDS)が化学物質の購入時に交付されることになっていますので、この情報源を活用して質のある教育を行うことができます。
  平成26年に労働安全衛生法の改正により化学物質のリスクアセスメント制度が導入され、労働衛生管理が向上されています。労働衛生管理目的の原点に返り、事業所として5管理を含めて必要な事項が組織的に着実に遂行され、健康障害防止が継続されることを願っております。

鹿児島労基 平成30年9月号掲載
化学物質取り扱いにおける安全配慮義務

鹿児島産業保健総合支援センター相談員
東 正樹  
(担当分野:労働衛生工学)
(株式会社鹿児島環境測定分析センター 代表取締役)

   事業場では、労働契約法5条「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」に基づき、安全配慮義務が求められています。では、事業場はどこまでやれば安全配慮義務を果たしたと言えるでしょうか。
   実は、安全配慮義務の範囲について明確な規定はありません。社会的に相当な、できるだけの手段を尽くすことが必要です。化学物質に関する労災裁判の判例を基に考えてみます。
   まず、労働安全衛生法令に基づく措置が取られておらず、事業場に損害賠償が命じられた裁判例(神戸地裁平成2年12月27日判決)を紹介します。

・概要
   作業場で有機溶剤(トルエン、ヘキサン等)を含むゴム糊を使用する作業に従事していた労働者が、
   その間高濃度の有機溶剤の暴ばく露を受けたため有機溶剤中毒にかかったとして損害賠償を請求し
   た事例
・判決理由(一部)
   会社は、使用者として労働安全衛生法、労働安全衛生規則等及び有機溶剤中毒予防規則に定める義務
   を負っており、具体的には次の安全配慮義務を負っていたと認められる。
      ①局所排気装置を設置すべきであった。
      ②呼吸用保護具や保護手袋等、適切な保護具を備えるべきであった。
      ③安全衛生教育を実施すべきであった。
      ④特殊健康診断を実施すべきであった。
      ⑤作業環境測定のを実施し、結果を記録しておくべきであった。
      ⑥有機則に基づく掲示をすべきであった。
   各事実を総合すると、会社は、労働者に対し負っていた安全配慮義務に違反し、有機溶剤中毒に罹患
   せしめたと判断できる。よって、損害を賠償する責任がある。

   本事例では、労働安全衛生法令で定められている措置義務が必須であることが示されました。 次に、法令等の義務がない作業場で、安全配慮義務違反のため事業場に損害賠償が命じられた裁判例(東京地裁平成21年3月27日判決、東京高裁平成24年10月18日判決)を紹介します。

・概要
   勤務場所を仮設棟へ移転後、ホルマリン等の化学物質にばく露して体調不良となり、約3か月後に
   退職届を提出。その後、医療費と慰謝料請求をした事例
・判決理由(一部)
   事業者は、労働者に対して仮設棟を勤務場所として指定したのであるから、化学物質過敏状態を発
   症させるような濃度の化学物質が存在しないように配慮すべき義務を負うにもかかわらずこの義務
   に違反した。

   本事例では、発症の原因は空気中の高濃度のホルムアルデヒドによるものとし、安全配慮義務違反として診療費約14万円、慰謝料390万円、弁護士費用40万円の請求が認められています。
   これは、法令に基づく義務がない作業場であっても、健康被害が想定されるのであれば、社会的に相当なできるだけの対策を行わないと、安全配慮義務違反となるおそれがあることを示しています。
   なお、本事例は「職域における屋内空気中のホルムアルデヒド濃度低減のためのガイドライン」(厚生労働省平成14年3月15日付け基発第0315002号)が出され、「シックハウス症候群」という病名が一般的になった後に起きた事案です。ちなみに、ガイドラインでは、濃度の測定、換気等による濃度低減措置、就業場所の変更、相談支援体制の活用などを講ずることとされています。

   このように、安全配慮義務の範囲は、単に労働安全衛生法上の措置義務が必須であるとともにだけではなく、より広い範囲の内容を包含することを認識しておく必要があります。特に労働安全衛生法第28条の2で努力義務となっている、リスク低減措置の実施は、安全配慮義務の観点から見ると非常に重要です。

 ※紹介した事例は、外井 浩志著「よくわかる労災補償と裁判~安全配慮義務と安全衛生管理~」より
  抜粋したものです。

鹿児島労基 平成30年7月号掲載

「人生100年時代」“働き方改革の方向は”

鹿児島産業保健総合支援センター相談員
德永 龍子  
(担当分野:保健指導)
(鹿児島純心女子大学名誉教授)

 

   日本は今や「人生100年時代」と言われるほどの長寿国。健康寿命延伸や企業戦略となる従業員の健康に配慮した健康経営への取り組みも進み、働く意欲のある人には、現役期間が格段に長くなっている。加えて、昨今のビジネス環境はめまぐるしく変化する。企業にも労働者にも、将来の変化を見据えた継続的な自己変革とステップアップ、遅れる女性への格差賃金是正など多様な視点で取り込む柔軟性が求められる。そのため業種や年齢、性別、国の壁をも超えて、様々な人材活用の機運が高まっている。
   日本が少子高齢化による労働力不足を克服し、「一億総活躍社会」「働き方改革」を実現して、日本企業の持続的成長を図るには、全世代型の社会保障の構築や制度が画一的なために十分活躍できない人材の活用が必須となる。育児や介護など様々なライフステージの人、病気の人の治療と仕事の両立支援、障害者、高齢者も働きやすく、立場を問わず意欲や能力を発揮できる柔軟な働き方改革が強く望まれる。
   重要なキーワードは、P.Hドラッガーがいう人を最大の資産として生産性を向上する事だ。多様な労働者が何度も能力開発の教育を受けてチャレンジし、働き続けられる社会の創出が必須だ。また、一人の付加価値を生み出す生産性の向上が喫緊の課題だ。日本は生産性向上の取り組みの後れで、国民1人当たりの名目国内総生産(GDP)は2000年OECDで2位から2015年には20位に低下した。
   家族、近隣総出でした田植えは、機械を使えば女性、高齢者も1人でしているし、大規模化している。また人工知能(AI)が囲碁でプロ棋士を破るなどの領域認識能力や運動習熟能力を持って来ている。AIとロボットを組み合わせれば、近未来の日本社会の課題解決策となり得る。農業習熟ロボットがトマトの収穫もしている。さらに人手不足の休耕地を耕し、農薬を使わない害虫駆除をして収穫する事も夢ではない。AIやロボットの導入で生産コストを大幅に低減できた、農業・宿泊・介護分野、コンビニエンスストア、スーパー、外食産業など人員削減と業務効率化に成功事例も多い。AIには言葉のハンデはない。日本社会全体で未来像を共有し、先んじることでビジネス活用できる企業戦略にならないか。仕事を見直し、生産性の向上策が働き方改革の第一歩。その後に、罰則付きの残業上限の制度化、裁量労働制、同一労働同一賃金の導入ではないか。その実現は人にとり幸せな未来社会でなければならない。
   第2のキーワードは、「地産地消」のグローバル化。各国に生産拠点を持ち、先端技術を駆使してコストを抑えながら消費者に近い場所で生産する。通商摩擦をさけ得意分野の鰹節製造工場をフランスに作った枕崎の企業が良い例である。しかし、日本企業には、いまだ外資への根強い抵抗感があり内向き志向である。その突破口が訪日外国人ブームだ。外国人が感動するものを、外国人の視点で考え企業化する。日本のように多国籍の食べ物を自国風にアレンジし美味しくした国は少ない。多様性への寛容力、問う力、困難に挑む力で、世界に寿司ブームが起こった事が良いグローバル「地産地消」の事例だろう。
   第3のキーワードは、「IoT」の進展による技術革新、その活用は産業構造や労働環境を激変させる。売れ行きに応じて在庫管理、生産量調整をして「自動仕入体制」をとった無印良品。コピーリース会社は使用枚数管理をしてインクが郵送で補充される。世界各地の設備を一括して操作し生産供給可能な会社もある。情報通信技術を活用して、生産性向上と競争力強化を政府の補助を受けて地方にサテライトオフィスなどのテレワーク環境を整備する地方創生による企業もあり、労働負担を軽減している。
   この技術革新の時代に企業が持続成長していくには、常に新しい発想を持ち、若手社員の登用や外部とも連携し新製品・サービスを継続的に生み出すネットワークとオープン・イノベーションも必要だ。

鹿児島労基 平成30年5月号掲載
「働き方改革法案」について

 

鹿児島産業保健総合支援センター相談員
前田 雅人  
(担当分野:産業医学)

 

   昨年,閣議決定される予定であった「働き方改革法案」は見送られたが,この動きに伴い業界団体の対応は活発化している。産業医の立場から,この改革法案の主なポイントを上げると,①残業時間の上限が単月100時間未満,2~6か月の平均80時間,年間720時間と規定されたこと,②終業から次の始業までの休息時間を確保する「勤務間インターバル」の導入が促進されていること,③長時間労働者に対する医師による面接指導の充実が盛り込まれたことなどがある。
   労働基準法制定以降,初めて残業時間の上限が決められたわけであるが,この100時間残業(月)については,週休2日制の労働者であれば1日5時間の睡眠時間が取れない状態と想定され,また80時間残業(月)については1日6時間の睡眠時間が取れない状態であり,いずれの残業時間もいわゆる過労死のラインと捉えられている。睡眠時間の短縮は疲労,判断能力の低下をもたらし,そのことが事故や疾病発症をまねくことを考えると,この法案により労働状況が改善されるなら喜ばしいことといえる。
   しかし自動車運転業務,建設事業,医師の3業種については,今回の法案が認められ改正労働基準法が成立,施行されたとしても,5年間は残業時間の上限規制の適用除外(例外)が設けられるようである。業種の特殊性やさまざまな要因から一律に改正することができなかったわけであるが,これらの業種についても,できるだけ早く勤務状況の把握と勤務者への配慮を施さなければならないと考えさせる事件が起こっている。
   例えば自動車運転業務であるバス運転者については,平成28年1月の軽井沢スキーバス事故が記憶に新しいし,また平成29年8月には北海道で観光バスが転落事故を起こし,多くの乗客が重軽傷を負った。全国約7000人のバス運転者を対象としたアンケート調査(国土交通省が実施)では,睡眠時間について5時間未満と答えた者が25%,拘束時間が13時間以上であった者が19%にもみられた。厚生労働省がバスやトラックの運転手の拘束時間は1日あたり13時間までとの目安を示しているのであるが,実態はかなり過酷であり,昼夜が混在した勤務もあり,なかなか疲労が取れないようである。60歳を超える運転手が増える中,勤務体系の改善は早急に解決しなければならない課題と思われる。
   建設事業にしても,新国立競技場の建設に携わっていた現場監督(23歳)が平成29年3月に失踪,自殺した事件があった。残業時間は月200時間を超えており,精神的にも肉体的にも追い詰められていたようである。背景として新国立競技場のデザインや建設費用の問題などで工事が大幅に遅れ,厳しい工期スケジュールとなっていることが指摘されている。
   医師については,医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要であり,なかなか時間外労働の規制の対象とするところが難しく,今回は猶予を与えられた。しかし平成28年1月の新潟での研修医の過労自殺(長時間労働による労災と認定,月100時間以上の残業を繰り返し,最長は250時間を超えていた),平成27年の東京での産婦人科研修医の自殺(長時間労働による精神疾患の発症が原因と労災認定,自殺する前の半年は月100時間以上の残業を続けていた)など,労働環境の整備を考えなくてはならない事例が起こっている。
   一般に労働者が残業時間を増やさなければならない状況は,雇い主や企業側が経営成績を上げるために要求していることが背景にあるかもしれないし,また労働者側にもさまざまな事情があるかもしれない。「働き方改革法案」が法制化された後は,これまで以上に勤務体系に注意して,労働者の健康維持と良好な勤務環境の整備に向けて努力することが求められる。

鹿児島労基 平成30年3月号掲載

受動喫煙と産業保健

産業保健相談員
徳留 修身  
(担当分野:産業医学)
(産業医・元 保健所)

   1983年頃から喫煙対策、禁煙教育に関わり、結核予防会結核研究所(東京)に在職中、1992年の「日本禁煙推進医師歯科医師連盟(略称:禁煙医師連盟)」設立に関わった立場から、受動喫煙及び新型タバコに関する最近の動きを紹介する。(健康への害を論じる際は「たばこ」ではなく、外来物として片仮名表記の「タバコ」を使用することが多い。)
   さて、「分煙」という用語の使用頻度が減少しつつあることにお気付きの方もあろう。喫煙室を設けても、これに出入りする客や従業員もあり受動喫煙は防止できない。分煙では費用をかけても効果が少ないため、健康を守るには「分煙」ではなく「全面禁煙」に限るという考えが喫煙対策関係者の中では主流となっている。
   受動喫煙を「タバコのにおいが苦手かどうか」という「好き嫌い」の観点から捉えるべきではない。ある弁護士によれば、確実に健康をむしばみ生命にかかわる「有毒物資」を他者に吸わせることは加害行為であり、悪質な場合は「暴行罪」にも問えるとのことである。  受動喫煙が発生する職場の代表として、喫煙を容認している飲食店を挙げることができる。客のほか、従業員の中にも未成年者や妊婦が含まれており、長時間の暴露は慢性疾患に加え、喘息発作、流産を含む様々な健康問題を引き起こすため、その防止は産業保健分野における重要な課題である。従業員は長い時間店内で働くため、施設の責任者は一層の配慮を要する。また、望まない受動喫煙を余儀なくされ、せっかくの料理を有害な煙で汚染されることは耐えがたいものである。
   禁煙化が進んでいる国から日本を訪れる外国人が受動喫煙の被害にあう事態は避ける必要がある。2020年のオリンピック・パラリンピックを控えて、東京都のみならず、国レベルの対策が急がれる。
   2010年にWHOとIOCとの間で「タバコのないオリンピック」の合意がなされて以来、冬季を含むすべてのオリンピック開催国で罰則付きの法規制を実施している。しかしわが国では議論が滞り、むしろ世界の流れに逆行するような動きがある。厚生労働省が前向きの案を示しても業界や議員からの抵抗により、妥協案では後退を繰り返している。対策の前進を阻む側は、「禁煙化すると利用者(客)が減少する」と主張するが、これには根拠がない。平成29年1月、WHOは、米国NIH(国立衛生研究所)の一部門であるNCI(国立がん研究所)との共同で作成した報告書を公開した。その結論ではタバコ規制はバーやレストランの売り上げに影響しないとされている。英国ではパブに行く人がむしろ増加したなどの報告もある。この段落については厚生労働省のホームページ(※1)を参照されたい。
   すでに非喫煙者が圧倒的な多数派となっており、喫煙者もタバコの害を正しく認識し禁煙治療を受けるなどの努力が必要であろう。飲食店の全面禁煙により非喫煙者や家族連れが店を利用しやすくなるため客の増加さえも期待できる。店の側も禁煙化に踏み切り、喫煙者には「禁煙に成功してまたご来店ください」と呼びかけていただきたい。
   最後に、最近急速に普及しつつある加熱式タバコ(アイコス、プルームテック、グロー)について注意を喚起したい。
   ①  「加熱式タバコ」を試してみようかな、と思っていませんか?
   ②  「加熱式タバコ」に変えたから安心、と思っていませんか?
   ③   禁煙の場所でも「加熱式タバコ」なら大丈夫、と思っていませんか? これら3問への解説は、
       筆者が役員を務める日本禁煙推進医師歯科医師連盟のホームページ(※2)に掲載しているので
       参照されたい。加熱式タバコでも受動喫煙が発生することにご注意を。

※1 受動喫煙防止対策の強化について(基本的な考え方の案)
       URL:http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000153190.html
※2 日本禁煙推進医師歯科医師連盟のホームページ
       URL: http://www.nosmoke-med.org/

鹿児島労基 平成30年1月号掲載